#6 Article 446 Posted at 1989/10/11 02:43:50 by ISAM (MAP1129) [RANMA]

Subject: Re:*5 らんま1/2について /445 ... /441 /436

さまざまな意見が飛び交っていますが、これぞネットの醍醐味てなもんじゃないでし
ょうかねえ。
 ただ、それぞれの意見で主張されていることは当然異なっているし、咬みあってもい
ない、とは感じます。別に民主主義や学級会議をやっているのではないので、主張を幾
つかに絞り込んだり、咬みあうように調節したり、する必要も全然無いとは思いますけ
どね。

 ええっと、最初にことわるべきだったのですが。僕個人に関しては非常に卑怯な主張
の組み立てをしていまして、どのくらい卑劣かというと「らんまは嫌いじゃないけれど、
打ち切られそうになったのは悪い」てな感じで自分自身の意見で批判しているわけでは
ないということがまずあります。
 なぜなら僕自身の方向性、又はお仕事としては、子供(ガキ)というのをお得意様と
して商売させていって頂きたい、という目論見があるもので。最初にスタッフが制作発
表会で「子供に受けるような」とか「マニア以外にも受けるような」と言って、始めた
アニメ「らんま」の放映に対して、それを見ながらもそのことが頭に浮かび「ケッ、こ
んな演出で子供向けとはてめえら甘いぜ」てな侮りと、「うーん、結構やり方によって
面白くなりそうな話しだ」という嫉妬が入り交じって、力不足という感想が出ていたの
です。
 むろん肯定的な感想を抱くこともありますが、ここは否定的なものに限って言うと、
「子供に受けるような」とか「マニア以外にも受けるような」という言葉は当然視聴者
だけではなく放送局やスポンサーに対しても歌われた言葉であるにもかかわらず、それ
を実行できなかったスタッフは、当然あらゆる方向から責められ打ち切りにされてもお
かしくはないでしょう?
 たしかに、映画やテレビのような大資本がバックにあるメディアにおいては「スポン
サー=だますもの」という雰囲気があることは否定できませんけれど、「だましておい
て好きなものを作る」というやり方が常に正しいとは僕は思いません。
 しかも子供向けと言いながらマニア受けなものを作ってしまうに至っては、視聴者さ
えも騙しているとはいえないでしょうか?
 そういったところに、僕がアニメ「らんま」スタッフ(といって、演出家を含めてご
く僅かな数の人間だと思うが)に傲慢さを感じ、の交代劇を当然と感じてしまう理由が
あります。
 ただし、僕は卑怯なので、万が一そういった騙しによってアニメ「らんま」が成功を
納めていたならば、勇気ある行動としてそれを讃えたでしょうね。結局は結果なのです。

 とまあ、このあたりが普遍性無しと断じる論拠なわけでして、「受けなかったから普
遍性無し」という単純さなのです。
 てなわけで、とっても僕の意見は卑劣なので文句はバリバリ受けます。
 皆さんは当然ファンとして意見を出されているのでしょうから、こんなすかしたやろ
うは許せねえ、というのならごもっとも(僕もそう思う)。
 しかし、「アニメは子供のもの」というのはいつまでも信じていたいのですね、個人
的には。

PS.
あかねちゃん>
 「自分がいかにファンであるか」、ということを主体性の発散として主張するのはそ
んなに意味がないことではないと思いますが(ニーチェの「この人を見よ」てえのもあ
るし)、それが「他人に比べてどれくらい」となったときには全ての根拠となるべきも
のを失ってしまうのではないでしょうか?(なぜなら作品に対してのファンであるわけ
であって。作品から離れてファンとしてどうこうというのは)
 だから「自分が他に対してファンとしてどうである」ということを根拠にした議論は
何の意味も持たないし、説得力も無いと思いますよ。
 あと、僕はアニメファンとしてはかなり大甘だと思います。だって面白けりゃなんで
もいいんですから(たとえ原作と異なろうが、絵が汚かろうが)。
 面白さに対して寛容である、という人は幸福だと思います。だって何見ても面白いの
です。僕はさすがに「ライガー」とかまで行くとだめです(でも毎週見ちゃうけど)毎
回呆れてしまっています。
 ええっと、あと「うる星」が凄いのはあの制作本数に加えて時代というものを持って
いるせいかもしれません。たとえば宮崎駿が比較したように「旧ルパン」がそうであっ
たような、見るだけでその作品が存在していた時間というのが、浮彫りになってくるよ
うな事というのがあるのでは。

   咬みあわないでしょ(前置きは自己弁護だったりする)  ISAM