#119 Article 5445 Posted at 1994/06/11 01:41:01 by 輪違聡司 (MAP3135) [SMOON]
Subject: Re:*48 セーラームーン原作漫画5,6巻 /5444 .............. /3176(#70) /3171(#70)
んで。ですね。ちと横道にそれますが、ちょいと「趣向の違い」について聞いてみ ておきたいことがあります。BM編についてもう一度考えてみたいのです。 つーわけで、この際だ! ちょいと古い話を持ち出します。1月末頃の話。 このころにちょいとこーゆー話が出たことがありました。 「始まり」といえば、コレが始まりなのかもしれないなぁ。 Art.4787で、私が > そこらの中学生と同じように、朝学校に行って、勉強して、遊んで、家に帰ったら >家族がいて……といった日常のサイクルを繰り返している。その中に、非日常のモノ >が入り込んでくる………というのが基本構造ぢゃないでしょーか?^^; > 現実の我々に非常に近い(と、視聴者が感じることの出来る)キャラクター達であ >る、というのがせらむんの基本スタンスであったと思っています。 > そこらへんがZ戦士や聖闘士と違うところなんだと思います。 と書いたことに対し、MOSさんが反発なさってますよね。 まぁ、この時期に私がこの件について書いていた内容は、「日常が唯一の本質」的 な書き方をしちゃってますので、その部分に関しては、今や考えが多少変わっている ところであります。 それはともかく、Art.4792で > 私はそこに同意できないと言っているわけです。そういう描写 > は確かに存在しますが、それは「基本」というよりは、単なる > スパイスでしょう。それが証拠に、わちがいさん自身の言葉を > 借りると、「最近学校の描写が少ない」とのことですが、 > 都合次第で、学校の描写なんてどこかにいってしまうんですね。 という形での反発文を書かれているわけですが、実はいまだにコレが気になっていた りします^^; ここで言っている、私の言葉を借りたってのは、この時期私がBM編についてグチ グチ言っていた(^^;ことを受けてのことだと思うんですけど、この言い方って、あの BM編のスタイルを「是」として受け入れた上ですよね。 私ゃ一貫してBM編のスタイルは好きではないんです^^; でもMOSさんは、こうして受け入れていらっしゃる。 で、思ったんです。もしかしたら、MOSさんはBM編のスタイルは「好き」「好ま しい」な人なんじゃないかナァ、と。 私が、この一連の論争の際にときどき、「BM編のスタイルが好きという人がいた としても、それは否定できないのだけど」というコトを書いていたことがありますが、 それは暗にMOSさんに対しての物だったんです。気付いてました?^^; MOSさんがBM編に否定的なのは知ってますけど、それはむしろ、30世紀の設定 とか、そういった部分でしたよね。 そういった設定的な話ではなく、また、具体的な出来の良し悪しというのは別にし て、日常性らしきものが極力排除された、このBM編の基本スタイルという物に対し、 仮に「こうであらねばならない」というほど積極的な物ではないとしても、「どちら かといえば好ましい」という感覚を抱いておられるのではないか……と。 繰り返しますけど、具体的な出来の良し悪し・作りの上手い下手じゃなく、BM編 の基本的なそういう構造に対して………です。 私は、この基本スタイルそのものが気に入っていないわけですけどね(笑) BM編のこの基本スタイルを象徴的に示す物としたら、やはり「大阪なる」ちゃん だと思うのですわ。 そして私は、なるちゃんはせらむんにおける「日常」の一つの象徴だとも思ってい ます。 すずめさんでしたっけ?以前より、確か「なるちゃんは日常と非日常を繋ぐものと しての重要な存在」といったようなことを主張されてましたよね。私はあれに共感す るわけですよ。 BM編の最終決戦直前になるちゃんがひょっこり現れましたよね。 アレには一体どういう意味があるのか!? ということです。 以前に一度問題提起したことがあったと思うのですが…………^^; このあたり、MOSさんはなるちゃんという存在についてどう思っているのだろうか、 と。 やはり、存在としては、一個の追加項目・おまけに過ぎないのだろうか? また、なるちゃんをまっとうに扱ってこなかったBM編に対する評価は? 私はやはり、なるちゃんはせらむんにおける重要なキーパーソンの一人だと思って いるんです。日常性に対する趣向、あるいはなるちゃんというキャラクターに対する 思い入れ、という個人的な主観もあることは否定はしませんけど、その上で。 それはともかく、私は、あの場にいきなりなるちゃんが現れたことに、違和感を感 じたんですよ。今までさっぱり出てこなかったから。時間的に詰まった展開の話なら ともかく、1話完結・リアルタイムの展開であるに関わらず、です。 でも、なおかつ、あの場に及んでなるちゃんが登場することになったのは何故か。 私は、それを「作品そのものの自己主張」という風にも感じたんです。 放映第一話から培われてきた、作品の持つ雰囲気。「日常性」という物も介して形 成されてきた空気です。それが、BM編においては異質の物となってしまった。しか し、あの最後の局面において、もとよりあった「作品の空気」が自己主張をし、なる ちゃんという形を取って現れたのではないか、ということです。ま、言い換えてみれ ば、「セーラームーンには忘れちゃいけないコトがあるんだよ」ということではない かと。作り手側が最後になってよーやく思い出したんじゃないかな、と、ね。 まぁ、これは、私の考えなんですけどね^^; MOSさんがなるちゃんをどう捉えておられたかってのは聞いてみたいところであった んですよ。どんなもんでしょ。 わちがいそうじ。