#119 Article 5203 Posted at 1994/04/22 06:32:09 by 輪違聡司 (MAP3135) [SMOON]
Subject: Re:*22 セーラームーン原作漫画5,6巻 /5198 ....... /3176(#70) /3171(#70)
さて。 > バトルヒロインとの比較でいえば、わちがいさんの > 主張も分かる気がします。でも、じつはこれを一番 > 聞きたかったんだが、 > そもそも少女マンガには、「日常」があふれています。 > 「日常」しかないマンガだってザラ。 > つまり、「日常」はいまさらウリにはならないのではないか? これは、Art.5191で私が書いた、 > じゃ、「せらむん」における「売り」に当たる部分はなんなのか、という…… という一文を受けての質問だと思うんですけど……… だから、この場合の「売り」というのはですね、「ハニーにおける売りはお色気」 という言い方に対応して言っただけのものです、あくまで。 次の文で、 > ハニーとは明確に違う「せらむん」そのものの特性とは何なのか、ということです >ね。 という風に言い換えていますから。Art.5191での使い方は、一種の比喩とお考え 下さい。 さて。 この後は、「売り」という言葉をその意味通りに捉えた話ですので、念のため^^; 少女漫画における「日常」がウリになるか。 全く無いとは思いません(「緻密な日常描写を云々…」なんて、いかにもありそう な売り文句じゃありません?(笑))けど、まぁ確かに、概ねは日常が一般化している 作品が殆どなのは事実ですから、とりたてて「売り」と成しうるケースは極めて少な いでしょうね。 ですから、「その通りです。売りになりません。」 とお答えしておきます。うん。 が、これは「少女漫画」というカテゴリ内での話。 「バトルヒロインとの比較で言えば…わかる気がする」とおっしゃっているよう に、それは作品形態で異なるわけ。 ・・・・・ 重要なのは、せらむんがどうなのか、という話ですよね。 せらむんは、「少女漫画」と「バトル物」の要素が一つになった物。 これは、皆同意するところであるところなわけです。 これまで再三言ってきていることなんですが、私は「日常」さえありゃいいなんて 思っているわけじゃないんです。「全編日常のみの話があってもいい」と書いたのは あくまで1エピソードとして存在したら面白いだろう、というレベルの話です。 少女漫画的ファクターとバトル物としてのファクターの併存。バランス。 それを重視しているんです。あくまで。 実は、「少女漫画」=「日常描写の存在」では必ずしも無い。 でも、これは作品個別の事情で変わって来るんですよね。 ちょっと視点を変えてみましょうか。 私は前に、「セーラー戦士達は既に一年以上戦ってきている訳だから、戦闘その ものが日常化している」という話をしましたよね。 故に、戦闘は外せないんです。月野うさぎが主役である以上、その周囲に起きる 「戦闘」を描写しないわけにはいかない。それは「起きている」ことのだから。 しかし、彼女らの周囲に起きているのは、「戦闘」ばかりではない。 今だ彼女らは中学生なんです。 しかも、休学して戦いに集中しているとか、そういうわけではない。 家庭を離れているわけでもない。 現に、一般的な日常生活を送りながら、戦いも行っているわけですよ。 これが、「幽遊白書」みたいに、時間的に詰まった形で展開されている話なら、 日常、あるいは日常的なモノが出て来まいと一向に問題はないんです。 でも、TVセーラームーンに関して言うなら、アレは、1年間の放送で作中でも 同様の時間が流れる(誤差は有ろうが)話なんですよね。 つまり、ハナから、日常が出るように、あるいは日常の中での魅力も出せるように セッティングされている作品なんです。 「それは、他のバトル物もそうだ」と思われるかも知れないのだけど、でも、 せらむんは同時に「少女漫画」なんですよ。 女子中学生としての生活を送っていることを前提として設定されている主人公が 主役の少女漫画なんですよ。 日常。それは、あるんです。現に存在しているんです。 それが、無い、無くてもいい、というのは片手落ちではないのか? そういう考えなんですよね、私は。 ちょっと感傷的な話になりますが……… せらむんが「日常の中での魅力も出せるように」セッティングされているという こと、それはすなわち、そのために設定されているキャラクター達が居るということ です。 しかし、「日常」が不要であったというのなら……… なるちゃんや海野や春だ先生や元基おにーさんや育子ママや謙之パパや進悟くんや ゆみこちゃんやくりちゃんやみかちゃん…といった人々は、不要な人々だったのか? それはちょっとね……悲しくないかなぁ、と思っちゃったりもしたんですよ。 重ねて言いますけど、私の求めるのは、あくまで、バトルも日常も、バランスを 取って魅力を出している、そういう姿、それがセーラームーンなんです。 バトルだけでは「セーラームーン」は成立しない。 バトルもまた、一要素に過ぎないのではないか? そう思うわけですよ。 両方が存在することでプラスに作用しうる物なのではないか? セーラームーンは。 最後に、ニュータイプ5月号に掲載されていた、神谷明氏のコメントから抜粋。 「今まで、いろいろなヒーローものに参加してきて、ヒーローのふだんの生活が描 ければ、もっと楽しいものになるのにと思っていたんです。『セーラームーン』には、 それがあるんですよね。これが新しい作品のスタイルなのかな、と思いました。」 わちがいそうじ。