#5 Article 686 Posted at 1989/06/10 03:58:02 by ISAM (MAP1129) [GUNDAM]
Subject: Re: 天道 なびきだす /685
むろん、シャアは回りの人間からニュータイプと言われています。 しかし、それは彼の戦闘における能力が一般兵を上回っているからにすぎないという 気がします(しかしそれならばむしろアムロも)。 さて、ここでの最大の論点とは「富野監督の意図」をどのように取るかだというこで しょう。 つまり富野という人が、「ニュータイプという者に進化していく人類を描きたい」の か「人類が進化するときの世代間のギャップに苦しむ人間たち、さらに突き詰めていけ ば人類全体での親子の関係といった感じの物を描きたい」のかによって受け取りかたが 異なると思うのです。 つまり結果のために過程を描いていくのか、過程をこそ描きたいのかという差ですね。 確かに富野氏はマスコミなどに対しては前者の結果を強調しますが。僕はひねくれた 見方として後者を取りたいとます。マスコミに対する発言というのは富野氏のリップサ ービス、謎かけ、照れ、勢い、といったものがあってかならずしも作品全体の意図とは 完全に重なっているとは思えないからです。 後者として考えた場合に、それはアムロやシャアにどのように投影されているのでし ょうか? アムロとは結局のところ愚かな父親を持った子供であり、父親のいない状態 へと突然放り出されてしまいます。シャアは偉大すぎる父親を持った子供です。死して もなお父親の影は彼を縛りつけ放そうとはしません。 彼等が鏡のようなものであることは、どうやら彼等自身が物語の発端の時点ですでに 気がついていたようですし。彼等にとって父親こそがオールドタイプ・・・というか、のりこえなければいけないものなのでしょう。 シャアが異性を愛せないのはむしろ、シャアがマザーコンプレックスを持っているか らですね。これはけっこう積極的な描写がなされているのでよくわかると思います。 特に「逆襲のシャア」においては、2人の女性をシャアに絡ませることによって巧妙 にそのへんを描いていますし、Zにおいてでさえシャアはまったく女性に受入れられず パプテマス・シロッコの所へ逃げられたりします。 だから、なぜララアがアムロと接触し共感しながらもシャアを捨てられなかったのか は自明でしょう。母親が子供を捨てられるわけはありません。さらに多少危険ですが突 っ込んだ考察を行うとシャア自身にはまったく本当の両親に対する思いを描写したシー ンは存在しません(これはシャアがそれを考えることができない、トラウマといったも のを推測することも可能です)、しかもセイラの極端なブラザーコンプレックスを考え るときに、彼等兄妹になにが起こったかを想像するのはかなり困難であり、富野氏の挑 戦的な意図を感じます。 ここで、ついにガンダムにおける最大の謎が登場するのではないかと僕は思いますが どうでしょうか。すくなくとも僕の記憶するかぎりにおいてジオンダイクンには顔が無 いのではないでしょうか? 物語の基底を為すにも関わらず、実体を持たない男の存在とは何を意味するのでしょ うか(間違ってたらごめん)・・・ ここまで来て、僕にはガンダムという物語を動かすエンジンが見えてきたような気が しますがどうでしょう? つまり人間の思考や感情こそがあの作品を動かしているのですね(モビルスーツや戦略やニュータイプではない・・・ちなみに、この行無効ですね。こりゃ完全に無駄口です、いうまでもないこと!)。 文章がかなり勝手に暴走してしまってすいません、なんとか合わせようと必死に頑張ったんですが思わずバリバリ書いてしまった ISAM