#38 Article 2360 Posted at 1992/06/26 22:19:04 by ASA (MAP2105) [NEKOME]
Subject: 「猫目忍法帖」(巻四ノ五)
背後でピ、と短く笛が鳴り、透丸とお振がはっと身を固くした。お銭は振り向 きもせずに答える。 「玄蕃どの、こちらでござりまする」 振り向かずして、三人が背後に降り立った黒い影を察知したのは、忍者ならで はの業(ワザ)だ。 「ほう、これが宇佐宮さまでおわすか。まことに見目麗しい」 赤亀玄蕃はのしのしと歩いてきた。黒い頭巾の下から、冷徹な眼が透丸とお振 をねめつける。 「玄蕃どの、その二人は宮さまとこのわたしをここまで案内してくれた忠義者。 褒美はぜひ玄蕃どのから手づから授けてやってくださいまし」 「なるほど、よかろう」 お銭の嘲笑に応えた玄蕃の刀が鞘走るが早いか、透丸とお振が左右に跳んだ。 透丸の手から唐傘が宙を走り、お振の手から手裏剣が飛ぶ。 「きええぇぇい!」 手裏剣は手もなく落とされ、刀もろとも玄蕃を胴斬りにするはずの鉛入りの唐 傘は気合い一閃、両断された。 刀ではない。技で切ったのだ。透丸は驚倒した。 そもそも忍びの技とは武士すなわち剣法者の裏をかく技である。ゆえに、忍者 にとって剣の技など無用。中の下程度の腕があれば事足りるのである。 が、まれにその剣法をもって忍者の技を凌駕する天才が現われる。塚原卜伝や 上泉伊勢守、柳生十兵衛――数は決して多くはないが、忍者にとっては忍者の名 人以上にやっかいな存在である。 ちなみにこの頃の名剣士の名を挙げると、男谷下総守、千葉周作、斎藤弥九郎 といったところであろうか。 玄蕃の太刀筋は伝え聞くそれらの剣聖に迫るものがあるのではないかと思われ た。 (まさか!) しかも透丸は、鵜沼の街道で玄蕃が毒針で犬山田中守を倒したのを知っている。 一流の忍者にして、超一流の剣士たりえる忍者――。 (冗談じゃない、格が違いすぎる) 「来ぬか。ならばこっちから行くぞ」 透丸の狼狽を見て玄蕃が大きく踏み込んだ。 (斬られる。――) お銭を追うお振が身を翻した。が、しょせん間に合わない。第一、間に合った ところで彼女の忍法鉄火肌が通用しなければ同じことだ。