#38 Article 1074 Posted at 1991/04/01 10:35:44 by ASA (MAP2105) [NEKOME]
Subject: 「猫目忍法帖」(巻一ノ四)
豹馬が二度目の「風車」にかかった一瞬を見逃さず、七太郎も跳んだ。今度は縦
に回ろうとした豹馬の、甲羅からわずかに出た手首足首を捕まえて、
「ケッ、同じ技を二度食らう七太郎様じゃねえやっ!」
しかし豹馬の回転は止まらなかった。猛回転に翻弄され、七太郎は絶叫したが、
それでも豹馬の手足を離さなかったのが彼の命を救った――手足を封じられ、豹馬
は着地できなかったのである。街道の樹に激突して、二人とも地面に体を投げ出し
た。
大ガメの頭の上では、何の憂いもない顔つきの宇佐宮に、どっちが勝つかと聞か
れて天理軒の方が困惑していた。
――この御方は人並み外れて無邪気なのか、それとも単なるあほうか?
「先に立った方の勝ちだぞよ、がんばれ!」
宇佐宮の歓声がきゃあきゃあと響いた。七太郎が大ガメの頭に乗った彼女を見つ
けて、甲羅党に捕まったと早合点したのを誰が責められよう。
「宇佐宮様!」
その隙を月亀豹馬が見逃すはずがない。すかさずその手から手裏剣が走った。一
瞬体をひねるも遅く、肩に手裏剣を受けた七太郎はしかし、ぐいとそれを引き抜く
と大ガメの足元まで突っ走り、一跳びで屋根ほどもある頭の上に飛び乗った。
「馬鹿な! しびれ薬が廻って歩くもままならぬはずじゃ!」
ひっくり返って絶叫する天理軒を尻目に、七太郎は宇佐宮を抱え上げ、
「もう大丈夫です。しっかりおつかまって下せえ!」
奇妙な敬語でそう言うと、大ガメの頭から思いきり飛び下りた。
その耳にピィ――ッ、ピィ――ッ……と呼子の音。天理軒が小さなカメを象った
笛を吹いているのだ。
すると、あたりから続々と十人ほどの甲羅党が現われた。
甲羅党が使う亀呼子は、持つものによって音色が微妙に違う。音色、吹き方が一
種の符丁になっているのだ。天理軒の笛は、宇佐宮がそこにいることを仲間に知ら
せた!
「逃がすな、捕らえろ!」
わめき散らす天理軒、殺到する甲羅党。
逃げる七太郎の足どりはだんだんおぼつかなくなってくる。手裏剣の毒が今になっ
てまわり始めたのだ。しかも、腕には宇佐宮を抱えている。
腕の力がゆるんで、宇佐宮が腕から滑り落ちた。ようやく追いついたお振がそれ
を受け止めたのにも気付かず、
「宮様、済まねえ……。」
荒い息でそう言って七太郎は崩れ落ちた。甲羅党が跳ぶようにあとを追ってくる。
だが女一人で、七太郎と宇佐宮をつれて逃げきれるはずがない。
今にも甲羅党が三人に追い付いてこようとしたとき、その後ろから飛び出した影
の手から、うなりをあげて唐傘が飛んだ。それもただの唐傘ではない、先頭の甲羅
党の二三人の腕が、斬り落とされて宙に舞った。唐傘は大きく弧を描いて元来た方
へ、独楽のように返っていく。
なお激しく回転する唐傘の柄をはっとつかんだのは透丸だ。
「猫目忍法唐傘返し。――次は生き胴を二つにするぞ。」
傘の下から二つの眼が冷たく光る。
このときにはもう前後の行列の侍たちが、白刃をきらめかせて殺到してきつつあっ
た。
奇襲の失敗を悟った玄蕃はチッと舌うちして、亀呼子を大きく吹いた。
甲羅党はちりぢりになって見る間に姿を消す。
ようやく追いついた侍たちは、のしのしと歩み去る大ガメの背を、呆然と見送る
だけだった。
ASA