#35 Article 683 Posted at 1991/06/17 01:36:21 by 根本 剛志 (MAP1144) [NO.080]
Subject: Re: Re: Re: 第80話「レオタードは乙女の呪い」 /679 /677 /675
最近7週分「らんま1/2」を観てない根本です(^_^;)(手鞠って何だ?(笑))。 故に感想も書けない状態ですが、ま、来月までは本の執筆編集で死んでますので その内まとめて観ることにしようと思ってはいるのですけどね(クスクス)。 では、ちょっとお呼びがかかりましたので首を突っ込みます(クスクス)。 「らんま1/2」が「めぞん一刻」に近いと言うのは、ある意味で高橋センセの初 期の作品世界形勢に負うところが多いと思います。それは「うる星やつら」はドラ マを展開する作品ではく『キャラクター重視』なのに対し「めぞん一刻」は『ドラ マ重視』の作品であります。自ずとこの違いは登場人物(キャラクター)に反映さ れます。 「らんま1/2」キャラクターのパーソナリティが「めぞん一刻」に似ているよう に見えるのは、その舞台設定、キャラクターの展開と共に『ドラマ重視』な作品作 りが大きなウェートを占めるからと思われます。また逆から考えると『ドラマ重視』 の作品を描こうと考えたら、ああ言うキャラクター展開になった。のかも(^_^;)。 では「何故『ドラマ重視』か?」については「あかねと乱馬」の物語展開のトレー スが「らんま1/2」と言う作品の主なるテーマであり、笑いは二次的な副産物と 私は捉えるからです。それ以上に「らんま1/2」は当初、天道あかねと言う不具 な少女の「心の開放」の物語であり「めぞん一刻」の音無響子の惣一郎からの「心 の開放」と言う物語に似ているが為、高橋センセが知ってか知らずか、この「開放」 にまで漕ぎ着ける為の物語を支えるキャラクターの配置が「めぞん一刻」と意外と? 一致しているのが『似ている』と私が公言する理由です。よって「らんま1/2」 が『ドラマ重視』作品になればなるほど「めぞん」的な感想を読者(視聴者)が持っ てしまっても可笑しくはないのではないか? と。 もっとも、さっさと天道あかねの「心の開放」は14週で決着が着いてしまい、 以降の「らんま1/2」はゲストキャラクターを注ぎ込んで笑いを展開させ、その 上で「乱馬とあかね」の関係を親密にして行く事に終始しています。この展開「う る星やつら」でのギャグ・シリアスのローテーションに似ているところがあります (まぁだからどうしたと言う訳ではないですが)。現「らんま1/2」は「うる星 やつら」25巻以降的なギャグの傾向を今辿ってはいるものの、キャラクターの展 開、が連載開始当時のままである為、結果的に未だ「めぞん一刻」的な雰囲気を残 しているのやも知れません。 ところで現「らんま1/2」の笑いの取り方が「コメディ」ではなく「ギャグ」 であるための補足を少々。 本来「らんま1/2」が「めぞん一刻」的な作品なら「コメディ」で笑いを取っ ても可笑しくはないと考えたりもしたのですが、それでも何故 ギャグか? この 点では「らんま1/2」と「めぞん一刻」はその笑いの志向が違っていると考える のです。少年誌の「サンデー」もう少し対象年齢の高い「スピリッツ」では編集方 針も違えば、求める笑いも違ってくるでしょう。サンデー連載の「らんま1/2」 が「コメディ」でなく「ギャグ」を求めるのは道理ではないかと。コメディよりも ギャグの方が笑いを取り易いと言うのが私の(感覚的なものですが)考えです。故 に「らんま1/2」でギャグを追及するとキャラクターがうる星化する。と(^_^;)。 しかし、既に高橋留美子自体が「うる星やつら」初期のギャグを咬ますことは、 事実上不可能であり、結果として「うる星やつら」25巻以降程度のギャグになる と。そうなると、ウェット化している為ギャグが鈍化し「めぞん一刻」的に見えな くもないと・・・(あ~~ ホレホレ(クスクス)) ここまで書くとyoneさんの考えとはだいぶ違ってくるかも・・・(^_^;) 根本 剛志(MAP1144)