#22 Article 497 Posted at 1991/04/19 02:00:46 by あかねちゃん (MAP641) [KANDO]
Subject: Re:*5 感動するということ・・(こ・・これは長い・・!) /496 ... /655(#34) /652(#34)
変なフォローをします。本論とはズレますので無視してくださって結構です。 (個人的には、変なガキが変なこと言ってる程度に認識してくれた方が楽。(^_^;)) 感動っていうのは、「何かを見て聞いて」という考え方もありますが、私は どちらかというと主観性の問われる内容・・・・うーん、「感動する内容」から その人の人格みたいなものがおぼろげにつかめてくるというか。(^_^;) つまり、その人の主体的な感情が「感動」をもたらすのではないか? と考えて います。だから、「感動ってなに?」というときに、「感動は言葉にできるもの ではない」というよりは、「普遍性を持ちうる言葉(他人にも理解してもらえる 言葉)では表現のしようがない」んじゃないかと思います。 と、いう状態のときに、はたしてコミュニケーションとはいかに存在するのか? となりますと、これはまた難しい問題だと思います。と、いうのは、同じ「感動」 (実際には厳密な意味での同じ感動というのはないでしょうが)を持ち合わせて いない人とはコミュニケーションが難しい・・・・のではないかと思うわけです。 「うーん、昨日のミント、すっごく良かったぁ。」 「うんうん、ナッツちゃんも幸せになれたし、ホントによかったぁ」 と、これなら楽ですが、 「うーん、昨日のミント、すっごく良かったぁ。」 「・・・・どこが?」 「・・・・・・」 となってしまうと、受け答えができなくなるか、反論するかのどちらかかな?(^_^;) ところが、ときどき、受けた感動が大きかったりした場合に、相手にも理解して もらいたくなってしまったりするわけです。(あながち間違いとも言えないん じゃないかと私は思う。(^_^;)) そんなときに、「自分はどうやってこの感動を相手に伝えればいいのか?」、しかし それは実際に実行して成功するのは非常に難しい! という、気持ちと現実の矛盾の 壁にぶちあたるのではないかと思います。(お話はそういうことじゃないかな?) はなからその努力を捨てるというのも一つの手ですし(努力するということは相手の 感情を損ねることにもつながりかねないので一慨に悪い手段とも言えないと思う)、 いっしょうけんめい努力して、なにかしら分かってもらおう! そういうのも一つの 考え方で、そこにはその人の「人格」というものが前面に出てくると思います。 共通認識の中で会話を繰り広げるというのは非常に楽な手段であり、気分的にも 精神的にもたいへんよろしいかと思います。でも、それだけでいいのかな? なんて私は思うわけです。自分の意見のアピールというのは、「相手に理解して もらう」という意義よりも、「自分がここに存在していることの表現」としての 意味合いの方が強いんじゃないか? 相手の意識を変えることを目的として書くか、 それとも自己のアピールをすることを目的として書くか? (注:アピールって、売り込みって意味じゃないです、念のため。) 感動というものを言語に置き換える場合、どういう翻訳の仕方をするのか? で 同じ感動というものも随分と言葉が変わってきます。 例えば、英語を日本語に翻訳するという作業ひとつを取ってみても、実際には英語は 英語、日本語は日本語という独立したメディアであり、英語の内容は本当の意味では 英語でしか表現できないものです。それを(ある意味では無理矢理)日本語に 置き換えるわけでしょう? 完全な翻訳は果たして存在するのか?となるわけです。 感動などといった感情などは、それ自体が固有の言葉ベクトルみたいなものを持って いるがゆえに、それは言語に完全に置換することは不可能だと思います。 だから、言語に置換された場合は、その置換作業の時に失われた部分のニュアンスを 元通りになおして解釈する必要があると思うのです。(原作本と翻訳本のギャップ なんかはそのいい例ですね。) 結局ながながと書いておいて、いったいなにが書きたかったのか? つまり、感動を言語に置き換えた段階で、すでにそこにはデータの損失がある。 だから、読む側は、その失われたデータを憶測でもいいから復活しながら読む必要が ある。逆に、もし、読む側がその努力を怠ったのなら、こちらがいくら努力したと しても100%相手に伝わることはないんじゃないか? だから、100%すべてを 伝えようとはしない方がいいと思います。と、書きたかったわけです。(^_^;) MAP641 まちばりあかね☆