#22 Article 3055 Posted at 1997/11/20 01:22:18 by TOSHI (MAP2425) [NO.06]

Subject: Re:*16 帰還 /82(#250) ...... /41(#250) /40(#250)

僕の“たかが”は「アニメの感想」にかかるのであって、「アニメ」にかか
  るわけではないのですが、蛮 一世さんが“たかが”ではないとおっしゃる
  のであれば、それはそれでかまいません。なるほど、蛮 一世さんにとって
  は“たかが”ではない? それならばかえって好都合です。

  ところで、有意義という言葉を説明するために、アニメの感想という言葉を
  持ち出されましたが、もちろん、何がアニメの感想であるかを決めるのは、
  蛮 一世さんではなくて、書込む人それぞれです。それぞれのもつ権利とい
  っていい。それが表現の自由というものであり、ボードにおける民主主義と
  いうものでしょう。メイプルという開かれた(公の?)場所では、それぞれ
  が自分の思う「アニメの感想」を書く権利があり、その自由が許されている
  のです。

  そして、そのためには、「アニメの感想」という言葉の解釈は、できる限り
  広くとらねばなりません。なぜなら、それぞれの人がどのようなものをアニ
  メの感想とするかは他の人には測ることができないからです。一見「他人の
  意見を踏みにじるような」書込みであっても、それがアニメの感想であると
  書込む人が思う限り、それはアニメの感想なのです。

  例えば「いっちゃんかわいいね」「うん、そうだよね」という書込みがあっ
  たとして、後者は厳密な意味ではアニメの感想ではなく、前者の書込みに対
  する感想です。狭義のアニメの感想のみを書くことを求めるならば、そうし
  た書込みさえも排除されることになるでしょう。一方、「いっちゃんかわい
  いね」に対して、共感の言葉のみ許されて、それを「踏みにじるような」書
  込みのみ許されないとするならば、まさに恣意的行為といわねばなりません。
  それは相手の権利の抑圧であり、ひいては自分が自由に書込む権利を自ら放
  棄することにつながる行為であることは自明でしょう。

  ところで、書込む権利とはその責任と切り離すことのできない概念です。「
  アニメの感想」を書込むことが、まさに表現の自由という権利の行使である
  とすれば、その責任は、書込み=表現が、衆目に曝され、批判・検討される
  ことによって果たされると考えねばなりません。なに、難しいことを言って
  いるわけではないのです。アニメに対し、面白い・つまらない・かわいい・
  くだらない、といった様々な感想が書込まれるのと同様に、「アニメの感想」
  にもまたそうした感想をもたれる、ということにすぎません。

  なぜなら、そこは開かれた場だからです。開かれた場では、表現に対して、
  誰がどういう感想をもつのか予測できません。また、ある表現がどこで誰を
  傷つけるかわかりません。いや、むしろ権利の行使というのは、他人の権利
  をある意味侵す以上、不断に他人を傷つけているといってもいいでしょう。
  そうである以上は、自分の表現=書込みが踏みにじられるのは、むしろ当然
  なのです。少なくとも、そうした覚悟が必要でしょう。

  まして、蛮 一世さんにとって、アニメは“たかが”ではないのです。もち
  ろん、その感想もたかがではありえないでしょう。真剣なものであれば、他
  人を傷つけることもそれだけ多いでしょう(もちろん、感動させることもあ
  るやもしれません)。開かれた場所に書かれた表現が、“たかが”でない以
  上、その感想は時に踏みにじられ、ときにあざけられることもあるでしょう。
  そうした扱いを受けることを恐れるべきではありません。むしろ、恐れない
  ことが“たかが”でない証明とすらいえます。

  ところが、実際には、“たかが”ではない、とおっしゃりながら、蛮 一世
  さんは、自分の権利行使をのみ謳歌され、残念なことに、他人の権利行使に
  は極端に狭量であるようです。そのようなことが果して合理的といえるでし
  ょうか?

  ここで、手近な法律入門書を開いてみれば、表現の自由を含む精神的自由権
  を制限できるための条件がいくつか挙げられています。*1)

  1)事前に表現を抑制するようなことはしてはならない。
  2)基準は明確でなくてはならず、不明確な文言で制限してはならない。
  3)明白かつさしせまった危険がなければならない。

  この3つが他人の自由を制限するための民主主義社会における尊重すべき知
  恵であることは論を待たないでしょう。*2)

  さて、この3つの観点から、蛮 一世さんの書込みを検討してみれば、1)
  (狭義の)アニメの感想であるべきという事前の抑制があり、2)「有意義」
  「公のボード」という言葉は不明確であり、3)「踏みにじられたような(
  気がした)」というのでは、明白かつさしせまった危険とはいえませんから、
  3つの条件をいずれもクリアしていないことがわかるかと思います。

  いかに蛮 一世さんの書込みが他人の権利に対して抑圧的に働いているか、
  少なくとも(意識するしないに関わらず)抑圧的な姿勢が背景にあるかが、
  ここからわかるでしょう。

  僕が蛮 一世さんの書込みの何を問題にしているのか、これでおわかりいた
  だけたかと思います。長々と書き連ねてきましたが、別段、難しいことをい
  っているわけではありません。メイプルにおいては(もちろんそれ以外でも)
  それぞれが自由に書込むことができるが、その書込みには責任をとる覚悟が
  必要だ、といっているのにすぎないのですから。しごく当り前でしょう?
   TOSHI

*1)ここでは「伊藤真の憲法入門」を使用。
*2)正確にはあとひとつ挙げられているが、ここでは省いた。