#22 Article 3001 Posted at 1997/06/04 00:54:35 by WAK (MAP5274) [MOVIE]
Subject: Re:*23 EVANGELION:DEATH AND REBIRTH /3000 ....... /3665(#194) /3562(#194)
で、前記アーティクルの内容も踏まへて言へば、いつぞやTOSHIさんがおっし ゃった、「わちがいさんの“あの程度”の立論」は酷いな、と思ふ。勿論、私 がどうのぢゃなく、輪違さんに対して酷い事を言ふんだな、といふ意味で。 ぢゃ、TOSHIさんは、果たして輪違さんの論を超えてゐるだらうか? 「男性論理」といふ語で云々するならば、私はむしろ、TOSHIさんの中にそれ を感じました。「やおいやってる女の子」の話の時に。 で、その後、解氷したかと言へば、逆に、ますますその感を強くせざるを得 ない。 [Art.10569 in #210} > よく、商売の標語で、「女子供をねらえ」というものがあるのですが、 > これって、いろいろな含意があるんでしょうが、ひとつには、そうした人たちは、 > 好みが集中しやすいということがあると思うんですよね。 やや妙な言ひ方になりますが、ものは、より単純で判りやすい形にされる事 により、一般化され、或いは商品化されるといふ事情が、全てではないけれど 存在します。そして、「女子供…」といふのは、元々、この、単純で判りやす い形といふ意味に於いて、常套句的な直喩として使はれる(使はれてゐた)ので す。即ち、修辞学でいふ強意的直喩なんですね。 そしてそれは、民衆の認識や感情、詩情の一つの表はれでもありますが、さ りとて正確な捉へ方とはとても言へない。むしろ、強意的直喩とは、もとより 誇張を目的とした不正確なものとして捉へるべきものなんです。そんな言ひ回 しを、しかも表現上、「女、子ども」を「男、大人」と相殺され得ない関係に 置いてあるといふ点で「差別表現」とも言ひ得る言葉を、なにゆゑ傍証云々と 称して持ち出せるのか、理解に苦しみます。 そして、単一思考とか何とかといふ話の際に、「やおいやってる女の子」と いふクラスを持ち出した事についても、聞いたことにお答へいただいた中味を 見ると、なぜ、あへて「やおいやってる女の子」といふクラスでなければなら ないのかといふのを、それ自体の中に見出す事が出来なかった。輪違さんの論 を踏まへれば、「男も女も、さういふ点では同じ」とか、「さうでないのもク ラスのメンバーに含まれる」とか、「一人一人それぞれは…」とか、さうした 疑問が出ても仕方ない程度の論だったと思ひます。 それでも、「やおいやってる女の子」であるならば、先述の「女子供を…」 を持ち出した点も併せ考へると、全体的な見方云々よりも、TOSHIさんの中に、 「どうせ女は…、所詮女は…」といふ考へが実はあるのではないかと勘繰った りもするんですよ。 そして、もし本当にさうならば、TOSHIさんが「あの程度」とした輪違さんの 論を決して超えてはゐない。むしろ、女を差別する立場から、あなたの理想と する差別目指して物事を言ふべきかと思ひます。逆にさうでないならば、「女 子供…」といふ言ひ回しを持って来た事は以上の点に於いて杜撰とも言へるの ですし、さういふ事を一方でしておきながら、輪違さんの論について「あの程 度」は、やっぱり、ないのではないかと考へます。 もっとも、TOSHIさんが輪違さんの論をとり違へて話を進めてゐる以上、超え た超えないなんて話自体、或いは無意味なことかも知れませんが。 WAK(MAP5274)