#210 Article 14769 Posted at 2000/06/11 06:34:28 by 高木志郎アオ (MAP3887) [MOVIE]

Subject: Re:*8 1977 /14768 .... /14756 /14754

朝日ソノラマが'76年に創刊した「マンガ少年」では'77年1月号で「テレビ
アニメこのすばらしい世界」という特集記事があり、反響があったため5月号
で「宇宙戦艦ヤマトのすべて」という特集が掲載された。
 また'77年3月に創刊された、みのり書房の「OUT」では6月号で「君は
覚えているか?『ヤマト』のあの熱き血潮を!!」という60ページの特集記事が
組まれた。
 これらの雑誌は“ヤマト・フィーバー”の口火となり、同'77年8月には、
劇場版『ヤマト』が公開された。
 徳間書店はテレビランド別冊の増刊として『ヤマト』をはじめ『009』等
の「ロマンアルバム」を発行する。
 朝日ソノラマは同年「マンガ少年臨時増刊TVアニメの世界」を刊行、以後
『ガッチャマン』等の「ファンタスティックコレクション」を発行する。
 そして当初“ヤング・サブカルチャー・マガジン”だった「OUT」はその
後アニメ作品の記事と、アニメをネタにしたパロディや投書などファンの声を
多く掲載することでアニメ同人誌に近いノリの雑誌となっていく。
 こうして、『ヤマト』によって起こった動きは、その他の作品も巻き込んだ
第1次“アニメブーム”となり、翌'78年にはアニメ雑誌が次々と創刊される
ことになる。

『宇宙戦艦ヤマト』(1977/8/6)舛田利雄監督
 テレビの再編集版という形で劇場公開された作品。
 脚本の藤川桂介は「テレビ放送では『アルプスの少女ハイジ』を見ていたの
で見損なっていたけれど、『宇宙戦艦ヤマト』も見たかったと思っている人た
ちがいるはずだと考えたのです。ぼく自身もこのまま引き下がってしまうのが
残念でした。それに必死で作ってきたスタッフの熱意を考えても、このまま埋
もれさせてしまっていいのかという気持ちがありました。そこでぼくはN氏に、
放送でやったものを編集しなおして、つながりの悪いところは作り足して、映
画として公開するべきだと提案しました。内容は映画にしても遜色ないと判断
していたからです。もちろんN氏も同感でした。かけた費用をなんとかして回
収したいとも思っていたに違いありません。そこでただちに総集編作りにかか
ったのですが、やがてそれが劇場で公開されると、視聴率で惨敗したことがま
るで嘘のような大ヒットになりました。」と記している。
 企画・原案・製作・総指揮の西崎義展は「私は、プロデューサーとして、将
来、世界市場を対象にした映画をつくりたいと考えております。『宇宙戦艦ヤ
マト』は、その第一歩であると思っています。世界に通用する映画のテーマは、
やはり、『愛』です。愛にも人類愛から男女の愛まで、さまざまですが、『愛』
こそ、全人類共通のテーマでしょう。また、私自身が一番大切にしてきたもの
だけに、これから、まさに人生を歩かんとしている少年少女たちに『愛』をテ
ーマに描きつづけたいと考えています。」と述べている。

 この映画は相棒と一緒に見に行きました。
 初日の先着何名かにセルがプレゼントされるというので、京浜東北線の始発
で上野に行くはずだったのですが、相棒が駅に遅刻して始発に乗り遅れたため
に、数人の差で入手できませんでした。私がその後、アニメセルの収集に凝る
のは、このことがトラウマになったためだと思います。でも『ヤマト』のセル
は買いませんでした(苦笑)。
 ちなみにこれ以来、徹夜で並ぶ迷惑な人間が増え、翌'78年の『さらば宇宙
戦艦ヤマト』では8日間ねばった人がいたということです。
                        21世紀まで、あと204日   高木志郎アオ