#210 Article 14603 Posted at 2000/03/20 07:09:24 by 高木志郎アオ (MAP3887) [TV]
Subject: Re:*82 20世紀 /14602 ...................... /14463 /14452
1971年春のある日、小田急線鶴川駅手前の十字路を右折した所の鶴川団地。
この時の様子を平山亨プロデューサーは次のように記している。
「本番。良いか?」
「OK」と藤岡くんはアクセルを吹かす。介添えのバイク係の室町くんが物陰
に隠れた。
「用意。スタート!」カメラが廻る!「カチン!」と、カチンコが鳴る。
「ぐいいいいーん!」スムーズなスタート。藤岡くんは颯爽と走って来る。い
いぞ、格好良い。そこから曲がれ。それが、あ、あ、あ、バンクし過ぎだ!
ふくらみ過ぎた! 危ない!
「カット! カット! カット!」
「危ない!」
次の瞬間、コースをそれた藤岡くんは運悪く電柱の支え鉄線に足を引っ掛け
てバイクごと倒れた。ひどい怪我だ。足が逆を向いていた。救急車で運ばれた
町田の病院では左足複雑骨折の診断。茫然のスタッフと共に、とにかく、撮影
所に戻った。
「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇
を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと
戦うのだ。」
『仮面ライダー』(1971/4/3~MBS)東映
第1話放送当日、第9、10話ロケ中の事故で重症を負った本郷猛役の藤岡弘
は、病院のベッド上で自らのテレビ初主演の画面を見つめることになった。
主役の負傷欠場という致命的なトラブルに対し、平山プロデューサーは2号
ライダーを出すことにした。毎日放送からは「藤岡弘負傷のため今回から本郷
猛役は佐々木剛に替わります」とテロップを出す、藤岡本郷はショッカーとの
戦いで壮絶なる戦死をして2号ライダー佐々木剛の登場とするなどいろいろな
案が出されたが、平山は幼い視聴者の夢を壊さないように「ライダーは不死身
でないといけない」と力説した。こうして1号ライダーはショッカーの別行動
隊を追って海外に旅立ったのである。
仮面ライダー2号一文字隼人役になった佐々木剛は、藤岡弘と劇団NLTと
いう所の養成所時代の同期だった。出演依頼をすると一度は断った。佐々木は
「仕事が忙しいこともあり、ケガをした仲間から仕事を奪うようでイヤだった
こと、もしおれが引き受けて、視聴率が落ちたのでは、全くシャレにならない
とも思った。それに、それまでの子供番組で主役をやっていた俳優たちが、強
烈な印象を払拭しきれずに、何人か、その後苦しんでいるのを知っていて、す
ぐには仕事を引き受ける気にはならなかったのだ。」と後に書いている。彼は
『柔道一直線』の風祭右京役で一躍スターになり仮面ライダーをやらなくても
仕事はいくらでもあったのだ。が、「藤岡を助ける意味でやってくれないか」
と再度懇願され、「判りました。そういう事情なら、藤岡くんのために、彼の
留守を守る意味でやらせてもらいます。ただし、彼が戻って来るまでですよ」
と引き受け、約束をきちんと果たした。『仮面ライダー』の視聴率は上昇して
人気番組となり、後に藤岡が帰ってきた時には視聴率30%を超えて、製作側は
ずっとダブルライダーで継続したがったが、佐々木はこのまま続けたら自分が
主役で藤岡がゲストになってしまうと、あえて断って藤岡に『仮面ライダー』
を返した。佐々木剛とはこんな気持ちの良い青年だったのである。
佐々木はバイクの免許を持っていなかったため風圧による変身という設定が
難しく“変身ポーズ”が創られることになった。バイクに乗らなくても自分の
意志で変身できるようになったことは、撮影や脚本の自由度を考えると有効で
まさに藤岡の“ケガの功名”だった。大野剣友会の高橋一俊が撮影の後サウナ
に入って鏡の前で岡田勝を前にしながら試行錯誤をして、変身ポーズを考えた
という。
藤岡弘は放送開始から約8ヵ月後の第40話でケガから復帰し、さらに3ヵ月
たった第53話で完全復帰した。藤岡の脚にはまだ治療のため鉄パイプが入って
いて、アクションで足を着くと激しく痛んだそうだが、役者根性で知らん顔を
通したそうである。
…と、仮面ライダーのスタッフやキャストの話を読むと作品作りに燃える情熱
が伝わってきます。こういう人たちが作った作品だから、私たちもテレビの前
で見ていて熱くなれたんでしょうね。
でも、実は私は旧1号ライダーや2号登場を本放送では見てませんでした。
『仮面ライダー』第1話の視聴率は関西では20.1%でしたが、関東では8.2%
だったそうで…
1971年4月3日(土)の関東地方のテレビ番組
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| |[4]日本テレビ |[6]TBSテレビ |[8]フジテレビ |[10]NETテレビ |東京[12]チャンネル
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|19|00 巨人の星|00 クイズジ|00 宇宙猿人|00 ストライ|00 キックボ|
|時| | ャンボ | ゴリ | クボウル | クシング |
| |30 アニメン|30 お笑い頭|30クイズグランプリ30 仮面ライ| |
| | タリー決断| の体操 |45 スター千一夜| ダー |56スポーツフラッシュ|
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|20|00 マチャア|00 8時だヨ!|00 柳生十兵|00 さむらい|00 ワン・ツ|
|時| キ・前武・| 出発進行 | 衛 | 飛脚 | ウ・アタッ|
| | 始まるョ!| | | | ク |
| |56 ニューススポット|56 フラッシュニュース|56 待ッテマシタ! |56 [N]ANN|56 スター |
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|21|00 いたずら|00 キイハン|00 ズバリ!当|00 土曜洋画|00 大江戸捜|
|時| 大作戦 | ター | てましょう| 劇場 | 査網 |
「人生で 最も重要な瞬間 それは 決断の時である
太平洋戦争は われわれに 平和の尊さを教えたが
また 生きるための教訓を 数多くのこしている」
『アニメンタリー決断』(1971/4/3~NTV)竜の子プロ
アニメで描くドキュメンタリー作品。略してアニメンタリーと名付けられた
この作品は、真珠湾攻撃から原爆投下・終戦までの太平洋戦争の様々な局面に
おいて日米両軍の指揮官の“決断”がどういった経緯で下され、それがどんな
結果をもたらしたかを描いた児島襄の原作を忠実に映像化した。史実だけに、
当時としてはリアルに徹した作画と実写フィルムの挿入などによって、一層の
リアリズムが追求された。
それまでのテレビアニメと一線を画し、子どもより大人の視聴者を中心対象
とした映像作品で、残念ながら当時はアニメ=子ども番組という印象が強くて
必ずしも成功を収めたとはいえないが、斬新で画期的な意欲作だった。
九里一平は「当時、実際にフィルム作ってるスタッフは戦争体験の無い若い
人達ですが、代理店とかスポンサー側は、皆、体験者なんですね。それで――
例えば胸に付けた勲章なんて、トレスマシーン通したら、ディテール消えちゃ
いますよね。ところがそんなところにクレームが付きましてね。彼等は、10m
先から上官の勲章とか肩章見て、階級を判断しなくてはいけなかったんですね。
だから試写見て、あの肩章は違うって事になったりして、大変でした。」と語
っている。
Art.14480 by 空之防人さん
> > テレビアニメ『のらくろ』(1970)では「可愛いミコちゃんにアイアイアイ」
> が!別に現在の職業とは関係ありません
> この頃はJ隊の存在なんて知りませんでしたから・・・
で、防人さんは1971年にJ隊に入る“決断”をしたわけですね(笑)。
21世紀まで、あと287日 高木志郎アオ