#210 Article 14539 Posted at 2000/02/18 06:52:06 by 高木志郎アオ (MAP3887) [TOEI]

Subject: Re:*51 20世紀 /14536 .............. /14463 /14452

「渡邊亮徳(りょうとく)は両方得する両得です。あなた得する。私得する。
両方、得する亮徳です。」
 彼の名は“よしのり”だが大抵の人は“りょうとく”と呼び、彼自身もそれ
を逆手にとり“両得”と名乗った。相手を騙して自分だけ得しようという奴も
多い世の中だが、自分は損してもよいというのもビジネスの世界では嘘臭い。
“両方得する”をキャッチフレーズにした彼は強かった。
 1964年、東映テレビ課の課長となった渡邊亮徳は、『スパイキャッチャーJ
3』(1965/10/7~NET)で大変な赤字を出して大川博社長から大目玉をくらった
が、「朝日ソノラマ」のソノシート付き絵本の商品化権交渉で、漫画関係者と
接触し、漫画が将来性のある媒体であることに気づいた。渡邊は持ち前のブル
ドーザーのような馬力で各誌編集者と頻繁に会った。

『丸出だめ夫』(1966/3/7~NTV)東映東京制作所
 渡邊は特に、もうじき百万部に達しようかという勢いの「少年マガジン」の
内田勝編集長を攻め、森田拳次原作『丸出だめ夫』のテレビ化は、東映が企画
から売り込みまで一貫して担当することになった。
 泊懋プロデューサーはボロットを作る作業で、お腹はフォルクスワーゲンの
ボンネット、頭はドラム缶など自分の考えでキャラ作りを進めた。原作漫画で
はボロットは言葉を話さず文字を書いた札で会話をしていたが、設定を変えて
言葉を喋らせることにし、実際に動かすと何ともいえないペーソスが出た。

『忍者ハットリくん』(1966/4/7~NET)東映京都テレビプロ
「少年」を読んでいた渡邊は、連載が開始されたばかりの藤子不二雄(安孫子
素雄)の『忍者ハットリくん』に眼をとめ、ただちに安孫子を訪ねて単刀直入
に実写でテレビ化したいと切り出した。東映の撮影所には、映画を撮りたくて
うずうずしている人間が余っており、実写ものなら仕事が無くて手持ち無沙汰
の撮影所スタッフをフル稼働できるからだ。安孫子は、実写と聞いて驚いた。
ハットリくんの表情の無い顔を演じられる人はいないと思ったのだ。渡邊は、
ハットリくんのしれーっとしたポーカーフェイスをお面にしてかぶらせて登場
させた。そして、渡邊は『ひょっこりひょうたん島』の井上ひさしを追いかけ
まわして服部半蔵というペンネームで脚本を書かせた。

『悪魔くん』(1966/10/6~NET)東映東京制作所
 渡邊は水木しげる原作『墓場の鬼太郎』のテレビアニメ化を進めていたが、
テレビ局の担当者の反応ははかばかしくなかった。そんな頃、同じ水木原作の
『悪魔くん』のテレビ化に際しては、あのおどろおどろしい迫力は実写でこそ
効果が出ると考え実写で製作することとなった。
 平山亨が初めてプロデュースした作品で、企画が進みだすと平山はほとんど
水木宅にいりびたりになって水木の仕事の合間をぬって話し合いをした。特撮
の矢島信男も妖怪やセットに凝ったり、フィルム合成に腕をふるい、この作品
が東映特撮に寄与した役割は大きい。
 しかし“縁起が悪い”ということでスポンサーがなかなかつかず、毎回違う
会社がスポンサーになるかたちで放映され、人気はあったが26話以降の延長は
できなかった。
 平山は予算の3倍以上を費やしてしまい、制作所の次長に呼び出しを受けた
が、この『悪魔くん』の迫真の出来によってテレビ業界全体が東映テレビ部の
実力に注目した。
「いやぁ、宣伝費、宣伝費。」渡邊はこともなげに平山に言ったそうである。

 東映の役者ってヤクザ映画に出てるためかヤーさんっぽい雰囲気があるけど
制作スタッフにもその匂いを感じます。東映テレビ黎明期の渡邊亮徳の伝説を
読むとすごくパワフルですね。当時の東映特撮は、円谷に比べるとマイナーな
印象でしたが『悪魔くん』のマネキン人形など夢に出てきそうな怖さを感じて
いました。
                        21世紀まで、あと318日   高木志郎アオ