#210 Article 14534 Posted at 2000/02/15 07:10:03 by 高木志郎アオ (MAP3887) [MOVIE]
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『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(1965/8/8)本多猪四郎監督
怪奇映画のスター・フランケンシュタインと、人間を喰う凶暴な地底怪獣の
死闘を描いた日米合作作品。従来の怪獣映画は身長50メートルのゴジラにより
ミニチュアは基本的に25分の1という縮尺だったが、20メートルという身長の
フランケンシュタインとの対比によって倍程度の12分の1のものとなり、その
中をぬいぐるみでない生身の手足を持つ人間的体型の怪物がのし歩くことで、
従来とは異なった生々しい映像となり、怪獣対決もスピーディーになった。
『怪獣大戦争』(1965/12/19)本多猪四郎監督
同時上映は『エレキの若大将』、20代前半の若者向け番組である。
円谷英二が照れながら“シェー”をやらせようといった時、スタッフは反対
したが、円谷は「いいんだ、これをやれば子どもは喜ぶんだから」と決行し、
劇場では大受けした。円谷特技監督の観客中心の姿勢はゴジラ映画を変貌させ
大人の映画としてゴジラを見てきた観客と、擬人化してアクションを連発する
ゴジラに魅せられた子どもたちとに、客層が分離され始める。円谷は実質的に
この作品から監修の立場となり、第一線を退いた。
東宝に伍する特撮映画を作ることは大映の悲願で、『風速七十五米(メートル)』
などの後『大群獣ネズラ』というのを企画した。しかし、本物のネズミが全く
言うことをきかなかったため、結局撮影中止になった。そして永田雅一社長の
声がかりで、ガメラが登場する。
『大怪獣ガメラ』(1965/11/27)湯浅憲明監督
永田が飛行機の窓から下を見た時に、亀の形に似た島があったのだろうが、
亀が飛んでいるように見えた。帰ってすぐの企画会議で「何かおもろい話でき
へんか?」というのでプロデューサーが脚本の高橋二三に午前10時頃電話し、
昼過ぎには第1稿『火喰い亀、東京を襲う』ができたといわれる。
湯浅監督はドラマと特撮、両方を手がけた。これは、大映に特撮スタッフが
まだ育っておらず、もし特撮とドラマがかみ合わなかったら悲惨なものになる
ため、やむを得ず両方やることになったそうだ。
湯浅は、「当時、東宝以外の会社が怪獣特撮ものをやろうというのは、暴挙
でした。とにかく、なにひとつこっちには材料がないんですから。ワンカット
ワンシーン、全部自分たちで考え考え、作っていかなきゃならない。特撮もの
を作る態勢からね。やっているうち、そのおもしろさに自分が次第に引きいれ
られていった、ということは確かですね。」と述べている。
特撮技術では東宝に一歩譲るものがあったが、大映は意表をつくアイデアと
そのセンスで挑み、海外でも外貨30万ドル以上稼ぐなど興行的にも怪獣映画と
しても大成功を収めたのだった。
子どもの頃の私は、ゴジラのシェーも子どもの味方ガメラも“子ども騙し”
のような感じがして好きでなかったのですが(嫌味な子どもだったよな~)、
今は味わいがあって面白いと思ってます。
21世紀まで、あと321日 高木志郎アオ