#194 Article 3446 Posted at 1996/12/24 19:40:51 by ヒライマ (MAP6478) [EVA]
Subject: Re:*6 「降りた」と言うより「投げ出した」? /3445 ... /3402 /3400
レスありがとうございます。
他人の結論に頼るような情けないことを言うな!というわけですね。
ごもっともです。すいません。
> こんなに人がいろいろ発言したがるんだと思うんですよ。そんな発言を眺める
> だけで結構勉強になるし、楽しいんじゃないでしょうか。
そのとおりだと思います。
わたしも思うところをゲシゲシ書くことにします。
まず、『エヴァ』が肝心なところをごまかしていると考えた理由ですがこれは
至極単純で、シンジが「僕はここにいてもいいんだ!」と言って心の底から
安心しきったような笑顔を浮かべるのが理解できなかっただけです。
わたしはアニメをみるときに多かれ少なかれキャラに感情移入しますがわたしの
中のシンジはあのような態度をとれなかったのでこれはごまかしているんだな、と
判断したわけです。
わたし自身は人類補完計画なるものをうけたことがないので経験から判断
できなくてそう思うのかもしれませんが。
ここから本論
みんなの心をごっちゃにして心の隙間を埋め合う補完世界というのは非常に
象徴的で、だから『エヴァ』のテーマは「人間は決してお互いに解り合うことは
できない。そこから始めるより仕方がないのだ」ということだと言いたくなるが
それは早計というもの。いや、そう言ってしまっても構わないが妙に狭い意味に
とられそうなので避けたい。
お互いに解り合うことなど出来ない、なぜなら心を物理的につなぐ方法など存在
しないからだ、ということは『エヴァ』の登場人物はみんなわかっている。
(シンジはちとあやしいかもしれないが)
リツコは補完計画をすすめる側の人間だが、そのことによって逆説的に真に
問題なのは「解り合えない」ことではなく「そのことに耐えられない」ことだ
ということが明らかになる。
おそらく人間にとって最も大きな欲望は自分の存在を肯定したいということなの
だろうが、それはしばしば裏切られる。
アスカは母親に否定された。だから必死にエヴァにしがみつこうとするがそれは
容赦なく奪い取られてしまう。ミサトは仕事ぶりは評価されるがそれは演じている
自分だという思いをぬぐいさることが出来ない。
せめて自分の生きてきた時間や記憶を頼りにしたいと思うがそこでレイが登場する。
彼女がそう言うときその言葉は空虚である。
多くの自己発見系の作品では主人公は最終的になにかよりどころをみつけ自分の
存在に意味を見いだすことで救われるが、『エヴァ』ではそうしたものを
ことごとく壊してみせる。たしかなよりどころとなるものは何もないということを
これでもかと見せつけてみせる。
そうした自分の足場の危うさに目を向けないことを『エヴァ』では「逃げる」と
言っているのだろう。
ではどうすればいいのか。これを『エヴァ』でやってほしかった。
それは何かをしようとするとき嫌でも聞こえてくる良心の声にしたがって自分を
演じることだ。もっと具体的には歴史の中で培われてきた習慣、信義といった
ものにしたがって律儀に日々を過ごすことだ。
(うっ、ほとんど西部そのまま)
言っておくがこれも無根拠である。心の隙間が埋まるわけでもない。
無根拠であることに耐えてそうするときそうすることでかろうじて心の平衡が
保たれることを知るのだ。
エヴァに乗るのはつらいことから逃げてるだけじゃないかとアスカがシンジを
責めるのは理屈である。すぐにいろいろ理屈を考えてしまうのが現代人の悪癖かも
しれない。だが人間は意識して、あるいは無意識のうちに価値判断することを
やめることはできない。
碇ゲンドウその人も良心から自由ではない。彼がシンジに「また逃げるのか」と
言うとき自身が意識してるかどうか知らないがその言葉は彼の良心のあらわれでも
ある。
ただしネルフは狂気の組織である。シンジが父の意を汲んで働くとき、それは
狂気に奉仕することになる。これは我々が日々直面していることでもある。
組織の目的は容易に正義に転化し我々をとらえてはなさない。
シンジが対決すべきはこっちだったのだがそこにいくまえに負けてしまった。
第1話で傷ついたレイをみてシンジがエヴァに乗る決意をする、それをみて視聴者
いや、少なくともわたしは「よし、それでいいんだ」と思う、そのとき否応なく
自分の中に自分がどうにか生きていられるなにかがあることに気付かされるのだ。
ヒライマ(MAP6478)