#13 Article 8580 Posted at 1994/08/15 13:47:29 by かくた (MAP4496) [SEKININ]
Subject: Re: 桜井前長官の発言とその顛末に寄せて思う /8575
>『火垂るの墓』が反戦をテーマにした作品なのは間違いないとしても、やっぱそこ >から「戦争責任」を導き出すのは、難しいし。 これについては異論があります。 『火垂るの墓』は単純な反戦ものではないの。 あの作品を見ていて我々がどこで感動するかを考えてみる。あの映画が単なる「戦 争の悲惨さ」を主眼として描いている作品ならば、大空襲で黒こげになった母親と再 会するシーンで泣かせの演出が入るはず。しかし我々が涙するのは、妹にそのことを 黙ったまま鉄棒して見せる主人公の姿なのだ。 う、これだけだと「子供の健気さに感動してるのだ」ともいえるか。続けます。 焼け出されて頼った親戚の家、そこにも居ずらくなった2人は防空壕で生活するこ とになる。隣組に入っているわけでもないから配給もないし、そもそも2人を守って くれる者はもはや誰もいない。先の鉄棒のシーンはこの予兆としてある。 2人を直接的に死に追いやったのは米軍の空襲でもなければ日本軍の暴力でもない。 2人のまわりの人々の無為無関心なのだ。考えてみるとこれはすごいぞ。多くの場合、 戦争の被害者としてしか登場しない一般民衆が、消極的にしろ加害者になっていたこ とを描いているわけだから。 反戦作品はそのほとんどが、一般民衆が暮している共同体に対して軍隊などの他者 が加えてくる暴力や災難の恐ろしさを描いている。そしてその他者がいかに自分と違 って強大で冷酷であるかを描くことによって「戦争は怖い、いやだ」というメッセー ジを伝えようとしている。 しかし『火垂るの墓』は、その戦争を遂行するために生活共同体がどのように変化 し、そしてその共同体から排除された者がどうなるかを描く。外からではなく、内か らの暴力を描いているのである。 この作品から厭戦気分を越えた「やりきれなさ」を感じるのは、戦争状況下で我々 自身が加害者になる可能性を思い知らされるからなのだ。そして我々自身が、共同体 の中でしか生きられないことを知っているからなのである。 空襲の中、火事場泥棒をはたらく主人公が爆撃機にむかって「やれやれぃ」と叫ぶ のが忘れられない。 ちなみにこのアーティクルを書くにあたって、初めて原作を読みました。アニメが 原作にかなり忠実に作られているのに驚いたのと同時に、アニメでは省略されている 汚くてドロドロした部分があることも知りました。 たとえば妹を荼毘にふすシーン、原作では主人公が下痢に襲われてしゃがみこみ排 便するくだりがある。残念ながらアニメはそこまで表現していない。ただ映像にする と、かえって滑稽になる心配はあります。 また主人公が壕を出てから駅構内で死ぬまでの生きざまも、原作では冒頭に短いな がら出てきます。これは作品冒頭の展開上、省略せざるをえなかった部分でしょうか。 ラストシーンについても賛否あるようですが。これは予想外に原作通りでした。私 はあれでいいと思います。2人が生きるために闘いぬき、そして破れる姿をここまで 見せつけられると「よくがんばったね」としか言えないもん俺。それに主人公は映画 の冒頭で、すでにその末路をさらしているのだし。 野坂昭如て、凄いかもしれん かくた