#13 Article 10353 Posted at 1995/08/10 06:11:14 by MUK (MAP1480) [PLANET]

Subject: Re:*11 土星の環が無くなります(^^; /10351 .... /26655(#130) /26601(#130)

ルベリエは1846年8月31日,最終論文をフランス学士院に提出すると
 ともに,9月18日に結果をベルリン天文台のガレ(Johann Gottfried
 Galle 1812-1910)に郵送し捜索を依頼した。手紙は同23日にガレのも
 とに届いた。ガレは早速,台長エンケ(Johann Franz Encke 1791-1865
 9月23日はエンケの誕生日であった)の許可を得て,学生のダレ
 (Heinrich Louis d'Arrest 1822-1875)を助手として口径18cmの望遠鏡
 を用い,その夜捜索を開始した。

 当時,同天文台では,ベルリン学士院主催のもとにBremicker星図とい
 う詳細な星図が作成されているところであり,ちょうど捜索対象の天域
 の星図は完成されていた。これと比較してゆくと,ものの30分ほどで,
 みずがめ座に星図にない8等星が発見された。翌日の観測で,この星が
 位置を変えることも観測され,これがルベリエの予見した未知惑星であ
 ることがわかった。ルベリエの計算位置とのずれはわずか52′であった。
 (アダムスの予想位置とのずれは2°27′)

 その後チャリスも8月4日と12日にこの星を観測していることが判明
 したが後の祭りであった。ルベリエの後援者のアラゴ(Dominique
 Francois Jean Arago 1786-1853)は業績をルベリエのものとし,アダム
 スを無視して新惑星をルベリエと名付けることを提案した。しかし結局
 惑星の名前はNeptuneに決まった。

 実際の海王星の軌道半径は30.1天文単位で,予想よりかなり小さく,軌
 道の形も計算より円に近いこと(離心率0.0086)が判明したので,見つ
 かった星はアダムスやルベリエの言った星とは違うと主張する人もいた
 が,問題にされなかった。

 1847年,ワシントン国立天文台のS.C.Walkerは,過去の海王星の位置を
 計算し,すでにパリ天文台のラランド(Joseph Jerome le Francois de
 Lalande 1732-1807)が1795年5月8日と10日の2回,海王星を恒星と
 して観測していることをつきとめた。ラランドは2つの位置観測結果が
 あわないので,8日の観測を誤りとしていた。こうして海王星の発見は
 約半世紀遅れたのであった。
                        つづく