#119 Article 5159 Posted at 1994/04/17 05:04:07 by 輪違聡司 (MAP3135) [SMOON]
Subject: Re:*14 セーラームーン原作漫画5,6巻 /5144 ..... /3176(#70) /3171(#70)
先日、某アニメのムック本の、何気ない文章を読んではたと気付いたこと。 日常ってのは極めて相対的なものなのだとゆー当たり前のこと。 年がら年中戦争やってる国の人間にとっちゃ、戦争が日常なのよね。 ま、あらためて再認識させられたとゆーか。 「少女」についてですけど……これもまた相対的なモノなのでしょうね。 古い絵画等を見てますと、ある種の一貫した存在感を感じないことはないですが… …この辺は極めて抽象的な気分なので、上手く表現できません。 まぁ、過去や他国等の実情を知らない以上、時代や土地柄といった状況により 異なると見るべきなのでしょうし、実際そうなのでしょう。 ですから、 > だから、わちがいさんの言う「非日常」の中でも、女の子が > 描けるはずだし、もしそうなら「日常」をとりたてて重要視 > する“必要”はないのではないか。 そのとーりです。まったくそのとーりです。 で、彼女らは既に一年以上(具体的な年月は永遠の謎だが)戦ってきてたわけで、 すでにそれ自体なかば日常化してた、とも言えますね。 ただ、彼女らは、「1990年代の、ごくありふれた」少女としての日常も同時に 持っている。 そして、そのありふれたモノとしての「日常」(今まで私が言っていた「日常」は これですね)は、決して「不要」な要素ではない、という事に関しては同意見のよう ですね。 さて。 ここからは完全に「好み」の話です。価値観の違いの話です。 私は人の価値観を否定するようなことはするつもりはありません。したくもありま せん。この話が、「互いの価値観に足を踏み込むことになりかねない」と気付いてか ら、心持ちトーンを下げています。 と同時に、やはり自分の価値観は自分の価値観として主張したいし、否定されたく もありません。 一種の逃げ口上に聞こえるかも知れませんが、一応私の基本的な考え方としてご理 解下さい。 その上で。 やっぱ私は、いわゆる「日常」が好きなんです。 現代日本のふつーの少女としての「日常」が描かれてることが好きなんです。 (以下の文章中の「日常」も、普通の少女としての…の意でご理解下さい。) もし、「学校行って勉強して遊んで、帰って寝るだけ。妖魔も出てこず、変身も しない」(いや、変身無しは無理かな、スポンサーへのお義理で、勘違いして一度 変身するだけとか(笑))という話が出現したとしたら…………… 私ゃ多分、拍手喝采して喜ぶでしょうね(もちろん、出来にもよるだろうが)。 もちろん、「こんなのはセーラームーンじゃない!」と怒る人もいるでしょう。 それでいいんです。そーゆーもんだ。 > だだそれを「日常」の「重要性」とまで言われたりすると > 「ふーん、それなら他のものがいくらでもあるよ・・・」 > とか言いたくなってしまうんだなぁ だから、それは人それぞれなんすよね。なんてこたないすっげぇ基本的な話。 まぁ、最初に私が、自分の価値観を普遍的なモノであるが如く言っちゃったのが まずかったのよね。 自信はあったんすよ。「自分と近い価値観を持つ人は多いだろう」って。 今でもあるけど。 でも、「正解」とは言い切れないのよね。言っちゃったらそれこそ「暴言」に なっちゃうのでしょう。 やっぱり私は、ごくふつーの少女としての「日常」が存在するセーラームーンこそ 「セーラームーン」だ、という風に思っています。これはね。どーしよーもないわ。 現在のスタイル(十番街を舞台に、月野うさぎ達が戦うという)が変わらない限り はね。やっぱ私にとっては「日常」がセーラームーンの鍵なんだわ。 これが大きく変わって、例えば、マッドマックス2化しちゃうとか、聖闘士聖矢的 スタイルになるとゆーのなら、そこで見方は変えますけどね。 だから私は、今後せらむんがどーなろーと構わないんです。その作品の大まかな 方向によって視点は変えますし。面白くなりさえすりゃどうなろうと。 「好みじゃないけど面白い」という感覚も存在し得るのだし。 マジな話「美少女武闘伝セーラームーンG」になってもいいのよ(笑) 要は、その作品に対する各人の読みとり方次第なのかも。 私は、せらむんが始まった頃、「ごく普通の女の子が変身して戦う、日常と非日常 のギャップ」に、私なりの面白さを読みとった。 それだけのことなんです。 私にとっちゃ、それが「本質」なんです。 もう二年経っちゃってるもんね。変えようがないや(笑) わちがいそうじ。