#70 Article 3323 Posted at 1994/06/06 12:47:59 by ISAM (MAP1129) [BUNNY]

Subject: Re:*7 今号のコミックBunny /3322 ... /3295 /3293

いやなに、「人間万歳やら人間中心主義」やらから個人の趣味、趣向でかんたんに
離れていられる、又はそういったものを簡単に否定できると考えておられるところが、
KYOGOさんらしい素直さだろうと思うし、強い論者でいられる理由の一つなんでしょう
けれど。
 だから僕は「人間万歳、人間中心主義」は好きですよ、ハリウッド映画も好きです。
 ハリウッド映画がハリウッド映画的なのはあたりまえで、誰がそれを非難できるの
か?
 たしかに「戦う牙を失わない」とか「ラストのもうひとおし」ってな、紋切りフィ
クションな言回しの結構なところは、なにもいわないかわりになにも傷つけないし、
感想文的物語を簡単に(強く)提示することはできるでしょう。
 しかし簡単にいえるわりには、それって簡単に居座ってしまうし、容易には取り消
すことさえできないという点、社会的倫理に何等責任をおわないが、創作の倫理とい
ったものに対しての責任はあまりに平気でおってしまうという意味では、まったくの
無害であると称している割には有害であるっていう、あんまりよろしくないモノだと
僕は思ってしまうのです。
 ところで、なんで「ラストもうひとおし」と書くことが、イコール「不完全な創作
である」ということではないと主張されるのか、その部分はちょっと理解できません。
 僕の見方では、それ以外のなにもいっていないと思うのですが。
 いや、むろん「ラストもうひとおしが」、僕が予想するようななにもいわないかわ
りになにも傷つけないつもりの、定形句だったというならわかるような気もするので
すが。

 何も達成できずに終わり、虚無感を残すラスト。
 ハリウッド映画って、そんな作品も多いのです。
 絶対量が多いですからね。
 もちろん非ハリウッド映画にはもっとハッピーエンドが多いのです。
 絶対量としても(非ハリウッド=ヨーロッパ、ロシアじゃないでしょ?)。
 むしろ、ラストという明確な物語区分が、あたかも絶対的なものであるかのように
取りだされ、それが振り回され、機械的に交換、強調可能であるかに扱われるところ
がハリウッド的なところでしょうね(KYOGOさんの)。


 ところで、最後に

>>それを描写するのは漫画ではなく、小説の作業なんじゃないかと思います。

>漫画だろうが小説だろうが、両方どっちをやったっていいと思いますし、
>やりかた次第でどちらだって描写する力があると思います。
>そんな、可能性を限定するような言葉、悲しいですよ(^_^;)

 ですけれど。
 一々、文句をつけて申し訳ないのですが。
 どうして「可能性を限定するような言葉」が悲しいのか全然わかりません(^_^;)
 僕は「人間中心主義者」ではありますが、ここまで創作の可能性にかけてしまうよ
うなほど「人間万歳」ではありませんね。
 そりゃ、描写はできるでしょうけれど形態は違ってしまいますよね、そんなもんが
どうして可能性で(可能性ぢゃなくて必然、つまりあたりまえなだけだと思いますが
)、それができないとなぜ悲しいのでしょう(^_^;)



                             ISAM