#5 Article 1126 Posted at 1990/01/14 13:17:25 by ORION (MAP1546) [WAR]
Subject: 私的戦争アニメ論
一週間の御無沙汰でした。ORIONです。 今回は少しマジメに戦争アニメ論なるものを展開してみようかと思います。 「ヤマト」以来の「戦争アニメ」における標準的な善と悪の対立関係は、巨大に して暴力的な攻撃者に対する弱小ながら純粋な抵抗者による果敢な戦い、という 図式によってそのバランスを保ってきました。主人公の役割は視聴者の分身とし て物語を辿る事にありました。視聴者は物語のテーマを半ば事前確認し話の進行 に従い、ただ追認すれば良かったのです。 その流れに革命を起こしたのが言うまでもなく「ガンダム」です。あの作品に おいて敵対する二つの勢力は互いに確固とした正当性を持たず、戦争は単なる暴 力として存在しました。視聴者の分身は主人公以外にも数多く存在し、視聴者と 主人公は物語の束縛から逃れ自由に作品世界を体験する事が許されるようになっ たのです。ただ物語後半に現れるニュータイプによって作品全体の統一的テーマ が持ち出され、それを裏付ける為に話の展開やキャラクターの動きに無理が生じ たように思えたのが少し残念でした。出来る事ならテーマの読み取りは最後まで 受け手の自由に委ねるべきだったと思います。 「ガンダム」以降、アニメでも異世界創造は重要な要素と認められ数々の佳作と 問題作が生み出されました。その中で僕が特に取り上げようと思うのは次の二作 です。 まず「ダグラム」ですが、この作品では攻撃側と防御側の関係が二重構造にな っています。ゲリラたちは自らをデロイア星の代表と主張して地球政府の圧政に 抵抗します。しかしゲリラたちは例え偽善の体制であれ、維持された秩序を乱す 側として行動を興している以上彼らは防衛者ではありません。彼らは自ら行動を 起こした攻撃者であり、自らの正義を主張しながら戦わねばその存在すら危ぶま れる革命家なのです。「ダグラム」は正義が守るものではなく、勝ち取るものだ と主張した始めてのアニメ作品でした。 そして「ボトムズ」です。あの作品では敵と味方、善と悪という関係が殆ど無 意味なものになってしまいました。戦いの中では理想も悲劇も巨大な時代の流れ の中で取るに足らない些細な個人的出来事として捉えられ、押し流されて行きま す。それは個人の世界に対する無力さを示すと同時に、個人と世界の間にある深 い溝を暗示しているように思います。個人が世界から自由になるのは極めて難し い事ですが、キリコはその可能性を示した存在なのです。 長い文章を書くのは慣れていないので、とりとめが無くなってしまいましたが 、又いつかネタがたまりましたら、再びこのテーマに挑んで見たいと思います。 激動する世界のニュースを聞きながら、 独り物思いに沈むORIONでした。