#43 Article 1000 Posted at 1991/02/15 04:25:43 by ISAM (MAP1129) [NO.43]

Subject: Re:*125 #43「不思議の街のアリスたちPART2」 /999 ................................. /826 /824

ほほほほ、一人で浮いているISAMです。
 でも大地君みたいに、後は君たちにまかせたよ~とかいって飛び去ったりはしません
けれどね。
 しかし、視聴者というのは因果なものです。わかりやすければわかりやすいで視聴者
に媚ていると非難し、ちょっと難しいとマニアのために作っていると文句を垂れる・・
・なかなかお気にめすように作品を作るのは難しいようです。
 「論理的」なる言葉が飛び交っているようですけれど、論理的でなければいけないあ
る階層としいうのはありますけれども、全部がそうである必要性というのはありません、
だいたい人間じたいからして論理的なわけではないのだからしょうがない。
 例えば、感動とかいったものを論理的に分解しようというのは、きっちりやらないと
「インチキ」になってしまいます。
 感動自体は独立したものですけれど、それについて考えるときには「感動した自分」
ってえものを意識しなければいけなくなってしまうからです。
 「自分」ってえ意識にはたいてい嘘が含まれていますから、その嘘から始まった作品
の解釈ってえのもやっぱり嘘になってしまうのでしょうね、例えばアニメーションとい
うものに関してはアニメ雑誌の記事とか読者欄みたいに。
 アニメというのは芸術じゃなくて風俗なんですから、当然、娯楽のために供されてい
るのです、それを単独として深々と考えてみたりするのはどうやっても時間のムダだし
バカバカしい行為だと思う。
 「ようこそようこ」自身に関しては、今まで難解な話なんて一度もなかったし全てに
おいて明白で特に考える部分というのもなかった。
 何度も言うようだけれど、不満を感じるのは欲求が満たされるからだし、不快感を感
じるのはそういったものを見せつけられたからに違いないのです。
 そういう人は、愛とか夢を受け取れなかったからなのか? そいつあちょっとバカげ
た考え方でしょう。
 2つの極端な意見をあげることができます。

 悲観論
・最終回は失敗作であれを見て感動するというのはオタクでしょもない奴だからだ。

 肯定論
・否定的な要素や演出のバランスの悪さこそ、何かを担っているものだ。

 あと、このボードでは主流の、単に「よっきゅんの最終回は素晴らしい」というのが
あるけれど、この前提自体が主観的なのだから、悲観論に対してなにかを説明できると
考えるのはほとんど無意味。
 それに、個々の演出自体の意味を美化したところでたいして役にたつこととは思えな
いし、それぐらいちょっと考えればすぐできる。
 確かにアニメの絵っていうのはシンボリックだけど、そこで表現される事柄まで夢と
か希望とかいったシンボルで表わせると思うのは、これまた何度も言っているように、
単なる錯覚じゃあないでしょうか?

                               ISAM