#4 Article 229 Posted at 1988/05/22 01:27:40 by W.M. (MAP009) [CEDDIE]
Subject: 小公子セディ批判
本当は、このファイルは先先週中にuploadするつもりだったのですが、ご
たごたはあるし新番組は始まるしで、すこしタイミングがずれてしまいました。
「小公子セディ批判」
前前回の「うれしい!やっとおじいさんに会える!!」の話で、メロン夫人がセ
ディにむかって、コッキィのことでこう言うところがあります。
「・・・それでもあの子は明るくて元気の良い子です。泣き虫弱虫ではありません」
このセリフを聞いた一瞬、私は本当に失望しました。いったいこの番組の脚本・
演出は何を考えているのだろうか、と悲しくなりました。いったい、ある登場人物
が明るくて元気の良い子だということを伝えるのに、「明るくて元気の良い子です」
などという言葉で行なうなどということがあるなんて、名作劇場の1ファンとして
本当にショックでした。
コッキィが明るい子であることを伝えたければ、(その前の回のように)コッキ
ィの行動でそれを表すべきでしょう。第三者がセリフで言っても、見ている側には、
頭ではわかっても心には伝わってはきません。「明るい」とか「元気の良い」とい
った抽象的な言葉で、まるでレッテルを貼るかのように人物を描写するのは、表現
としては非常に下手な方法ではないでしょうか。
こう考えて今までのセディの話を振り返ってみると、セディや母さんの悲しみを
表すのに、やたらと泣いたり叫んだりさせていることが思いだされます。ある人物
が悲しいことを表すのに、ただ「泣い」たり「叫ん」だりさせるのでは、その人物
に「泣く=悲しみ」というレッテルを貼っているだけです。これでは、見ている側
には全然その悲しみが伝わってはきません。かえって、白けてしまうだけです。こ
ちらを感動させるつもりなのかどうかわかりませんが、これでは感動しようにも感
動できません。
「悲しみ」を表すには、その悲しいできごとを克明に、詳細に表現すれば十分で
す。わざわざ泣いてもらわなくてもかまいません。「フランダースの犬」でネロは
ほとんど泣いたりはしませんが、悲しみは十分に伝わってきています。ホームシッ
クにかかったハイジの行動を細かく描写することで、アルムに帰りたいというハイ
ジの心情ははっきりとわかります。夕日にむかってセディが叫んでも、こちらには
何も伝わってはきません。
まだ「小公子セディ」は半分以上話が残っています。これから素晴らしいストー
リィを見せていただけることを期待しております。
MAP009 / W.M.