#38 Article 2343 Posted at 1992/06/11 00:53:48 by ASA (MAP2105) [NEKOME]
Subject: 「猫目忍法帖」(巻四ノ二)
「な、何っ――」 猫飼内記が手刀をなぎ切った姿勢で構えていた。手刀など届くはずのない距離 で。 「やあっ!」 すっと上がった内記の手刀が、再び空を切った。いや、その指先から走る銀色 の光流が左近を袈裟がけに斬った! 「忍法村雨――悪く思うな」 指先から噴出する細い水の糸で敵を斬る、猫飼内記の忍法村雨。ただの水でも、 細い孔から高圧で発射されれば鉄をも切り裂く威力を持ちうる。 「生かしておきたかったが……」五遁斎が舌打ちする。 「斬るほかなかった」 だが左近は、傷口からドクドクと血を流しながらも、柱にすがって立ち上がっ た。 「亀口左近、ただでは死なぬ。……忍法首うつぼ!」 叫んだ左近の首が、目にも止まらぬ勢いで真上に飛び出し、天井を突き破って 宙に浮いた。 忍法首うつぼ――亀口左近は、腕のみならず首をも自由に体から飛び出させる ことができるのだ。その威力は今見たとおり、やすやすと天井を破ってさらに数 ニャゴ米も飛んだほどである。 猫村巳右衛門必殺のむささび返しを破り、その頭部を無残に打ち砕いたのもこ の忍法であった。しかしその本体が内記に斬られた今、首だけが逃げても生き延 びることはできない運命である――が。 「玄蕃どの、我らの計は敗れ申した!」 左近が虚空に絶叫するや、それに答えるように外でピィーッ、と笛の音が響き、 黒い影が塀を越えて飛び込んできた。あっと驚く侍たちの前で、ばたばたとかが り火が蹴倒される。 言うまでもない、甲羅党だ。 お銭は、裏口を目指した。護衛として付けられた透丸とお振が一緒なら、万が 一見とがめられても言い抜けが立つ。もし手間取るようなら、透丸かお振のどち らか、あるいは両方に始末させるつもりでいた。二人には、もし妙な動きをすれ ば、猛毒を塗った手裏剣が、いの一番に宇佐宮本人の背に突き立つと、脅しをか けてある。 そこへ上空からの絶叫が聞こえた。言うまでもない、亀口左近だ。 「我らの計は敗れ申した!」 続いて起こった笛の音を聞いて、お銭はにたりとほくそ笑んだ。望外の好都合 だ。仲間を呼んで宇佐宮を運ばせれば、脱出はいともたやすい。 「二人とも、止まれ」 彼女は左手で懐から亀呼子を出して、澄んだ音を響かせた。むろん、右手の手 裏剣に隙はない。 響く呼子――音色が吹き手を知らせ、リズムが救援の必要を知らせ、さらに音 そのものが居場所を教える。まもなく、甲羅の忍びが駆けつけるだろう。 透丸もまた、鈴こだまで助けを呼んでいるのだが、はかばかしい返事はない。 五遁斎たちがいるはずの寝所まで、鈴こだまは届かないのだ。