#38 Article 2339 Posted at 1992/06/07 21:25:46 by ASA (MAP2105) [NEKOME]
Subject: 「猫目忍法帖」(巻四ノ一)
忍法星取二対一 山風遥太郎 角を曲がった透丸の目に、宇佐宮とお振と、そして松川の方の姿が映った。 「お振、松川の方は――」 その声を聞くが早いか、松川の方――甲羅のくの一、お銭は懐剣をお振の背に 振り下ろした。 かろうじて振り向くだけはできたお振だが、あわてたあまり刃を素手で受けて しまった――と、お銭は見た。しかし、なんということか。キンと鋭い音が響く や鉄塊に切り付けたような手応えを覚えて、お銭は思わず懐剣を取り落とした。 しかも、刃を握りしめてにっと笑ったお振の掌からは、一滴の血もしたたらない。 「おのれ――!?」 「猫目忍法、鉄火肌」 お振が手に力を入れると、鋼の懐剣が木切れのようにあっさり砕け散った。ゴ ム質のアニマロイドの表皮を鉄より固くする忍法鉄火肌、懐剣程度ではお振に傷 も付けられないのだ。 そして間髪を入れず、お振の裏拳が神速で繰り出される。お銭も甲羅の忍びで ある。対等の条件ならば決して引けを取らない自信はあったが、背後からは透丸 が迫り、何よりも今の彼女の「肉体」は戦いにあまりに向いていない。 勝負にならないと見たお銭は、大きく身をひるがえしてお振の頭上を飛び越え、 この奇怪な忍者の戦いを見世物のように目を輝かせて見ていた宇佐宮の喉元に手 裏剣を突きつけた。 「しまった!」 透丸がうなるが、性格というのか宇佐宮本人は動じた風もない。 「わらわをどうするのじゃ、松川――いや、松川ではなかったの?」 「お銭と申しまする。おそれながら、宮さまには盾になっていただきまする。 しばらくお眠りくださいませ」 声も本来のものに戻ったお銭の袖が宇佐宮の口元を覆うと、すうっと彼女の眼 が曇る。 「では、わたしからお離れになりませぬよう――」 宇佐宮はこっくりとうなづいた。お銭の袖に焚きしめられた甲羅の香――多量 に吸えば先の猪上陣太夫のごとく痛みも覚えぬ殺人狂と化し、少量ならば催眠状 態に陥って自我を失う魔香の力だ。 歯噛みして身を低めたお振の肩を、透丸がつかんだ。 「待て。宮さまに万が一のことがあってはならん」 答えるお銭の声が、再び松川の方のそれに戻る。 「そちらの若衆は分別がおありなさるようじゃ。甲羅としても宮さまを害しと うはない……若衆、騒ぎにならぬうちに外へ案内してくりゃれ」 なんと法外な要求か――お銭は、脱出の手引を透丸たちにさせようというのだ。 お銭の苦闘を知る由もなく、亀口左近は宇佐宮の寝所に忍び込んだ。 だが今ここに宇佐宮がいるはずがない。 「!?」 空の夜具を見て狼狽した左近の両腕を、待ち伏せていた猫川五遁斎と猫飼内記 が背後から忍び寄って捕えた。 「ぬかったな、甲羅の忍び」 「逃れられんぞ、覚悟せい」 だが左近は、にやりと笑ってその両腕を体から切り離した。 泡を食った二人が姿勢を崩したのを見るや、左近は外見からは想像もつかない 俊敏さで走り出した。 「さらばだ、猫目谷衆!」 いかに猫目谷の忍者といえども、崩れた体勢から刀を抜いては来られない。い まはとにかくここを脱出せねばと必死に逃げる左近が突如大きく前につんのめっ た。 左近の右足首が、あざやかに斜めに断たれていた。