#38 Article 1136 Posted at 1991/04/20 09:33:21 by ASA (MAP2105) [NEKOME]

Subject: 猫目忍法帖(巻二ノ一)

全長五十ニャゴキロ米。この桁外れの大行列は小回りというものが全くきかない。
記録によると、一つの宿を通過するのに要した日数がなんと四日。一日十二ニャゴ
キロ米そこそこしか進まないのだ。
 優雅なものだが、さすがにこういう椿事に見舞われるとその優雅さが混乱のもと
になり、その日の夕刻、鵜沼の宿は怪我人の手当や死人の収容、欠員の整理などで
芋を洗うような騒ぎになっていた。
 そんな中、本陣では犬山田中守が七太郎たちと相対していた。
 「まことによくやってくれた。犬山田中守、宇佐宮さまに代わって礼を言う。」
 彼が赤亀玄蕃の忍法隠し剣山――正体は甲羅から飛び出す毒針から回復したのも、
彼らの薬草の力だった。
 「いや、そんな、たまたま通りかかっただけの話で、当然のことだから、はは……。」
 「ホホホ、七太ったらすっかり上がっちゃって、やだわ、もう……。」
 「上がってるのはおぬしだろう、お振。田中守の御前であらせられるぞ。」
 見るからに上がっている七太郎お振はもとより、落ち着いてるつもりの透丸です
ら、敬語がおかしい。
 無理もない、犬山田中守と言えば幕府譜代の大大名、本来なら彼らがまともに同
席できる相手ではない。
 田中守はそれに気付くと笑って、
 「まあ、そう無理に固くなるな。ともかく、狼藉者めらは再び宇佐宮さまを狙うに
相違ないが、おぬしらが密かに宇佐宮さまを守ってくれれば彼奴らもうかとは手が
出せまい。」
 そりゃあもう、とばかりに軽薄に答えかけた七太郎の尻を、お振がぎゅっとつねっ
た。ぎゃっと出しかけた声を飲み込んで、七太郎はお振を睨み付けた。
 (何しやがんでい!)
 (それはこっちの台詞よ! もうとっくに美濃を出てなきゃいけない頃なのに!)
 (だからって、知らん顔して行けるかよ!)
 (よさないか、みっともない。)
 このやりとりは、田中守には全く聞こえていない。七太郎たちが発するごく小さ
な声は、それぞれが胸に下げた鈴に伝わって、相手の鈴に共鳴りを起こさせる。三
人は、鈴の小さなふるえを読んで、「会話」しているのだ。
 これを猫目忍法「鈴こだま」という。
 田中守は話し続けていた。
 「もちろん、充分に礼はする。働き次第によっては、わしが召し抱えてもよい……
いや、ぜひ召し抱えたい。そちたちなら、一人頭百石……いや、二百石だそう。」
 類のない好条件といえたが、三人はむしろ当惑の表情を見せた。
 「そいつぁ願ってもねえことだけど、弾正さまの許しがねえと……。」
 「それは、誰だ?」
 お振が七太郎のあとを継いで、
 「猫目谷衆の頭領、猫塚弾正さまです。私たちは弾正さまに命じられた修行の旅の
帰りなんです。」
 「修行とな。すると、猫目谷というところにはそちたち以上の忍びがおるわけだな?
それは頼もしい。よし、わしが弾正殿に一筆したためよう。猫目谷へは飛脚で幾日
かかる?」
 お振がしまった、という感情を飲み込んだ。
 薮蛇だが、仕方がない。透丸が答えた。
 「いえ、猫目谷は隠れ里。一族の他には道を知る者はござりませぬが、我々なら二
日で行き帰りできまする。」
 「ふむ、左様か。頼むぞ。」
 「はっ。」
 三人は、深く頭を下げた。

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