#38 Article 1072 Posted at 1991/03/31 14:27:48 by ASA (MAP2105) [NEKOME]

Subject: 「猫目忍法帖(巻一ノ三)

「馬鹿な、いつの間に!?」
 これは篭かきに化けていた二人の忍者にして、一世一代の不覚だった。幕府が用
意したこの豪華な篭はそれ自体がかなり重い。それに紛れて、華奢な宇佐宮が篭か
ら抜け出していたのに、気付かなかったのだ。
 「すぐ手分けして宮様をお捜し申せ!」
 玄蕃が二人に命じたそのとき。
 「やいやいやい! てめえら、嫁入り前の宇佐宮様を手篭めにしようたあ、いい了
見じゃあねえか! この猫田七太郎様が相手になってやるから、かかって来やがれ!」
 抜き身の一本差しを目の前にかざして、七太郎は威勢のいいタンカを切った。
 玄蕃は冷たく、
 「豹馬、あの道化を始末せい!」
 玄蕃と左近はぱっと散った。残った豹馬は、おもむろに甲羅から四本の脇差を取
り出し、落とし差しにした。
 すでに油に濡れた七太郎の道中差しを見て、
 「若造、少しはやるようだな――褒美に月亀豹馬の忍法風車を見せてやる。」
 言うなり、その体が七太郎に向かってまっすぐ跳んだ。それもただ跳んだのでは
ない。跳ぶと同時に四本の脇差を両手両足で抜き、甲羅を地面と水平にして恐ろし
い勢いで回転する――脇差を羽根に見立てれば、まさに人間(アニマロイド)風車となっ
て迫って来たのである。
 ど肝を抜かれた七太郎は、思わず宙へ跳んで内心にしまったと叫んだ。風車は七
太郎が跳び下がる以上の早さで彼を追う。着地すれば刀を構え直す間もなく胴斬り
にされてしまう!
 だが着地した瞬間、予想外のことが起こった。七太郎は地面に流れていた油に足
を取られて、鮮やかにずっこけたのだ。もろに後頭部を地面にぶつけたのが逆に幸
いして、死の風車は七太郎の頭上を唸りを上げて飛び過ぎた。
 「いってぇ……。」

 行列が潰走したときから、大ガメは役目を終えたようにどっしりと座り込んでい
た。これもただの大ガメではないらしい。
 そう、よく見ると頭の上にやはり黒づくめのカメ型アニマロイドが乗っている。
学者風の甲羅忍者・亀丸天理軒はどっかりと胡座をかいて、すでに不気味に静まり
返ったあたりを見回していた。甲羅に収まらないのではないかと見えるほど頭の鉢
が大きな異相の持ち主である。
 「ほう、思った通り、良い眺めじゃのう。」
 不意に背後で声がして、天理軒は忍者らしくもなく一尺も飛び上がった。しかも、
声の主は――。
 「う・う・う……宇佐宮様!」
 見知らぬ相手に名を呼ばれ、彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐに目を輝かせて
天理軒に言った。
 「これ、わらわとその場所を替われ。はよう、はよう。下のちゃんばらが終ってし
まうわ。」
 「は?」
 どうやら豹馬と七太郎の対決のことを言っているらしい。ちゃんばらとはお言葉
だが、これは天理軒にとっては願ってもない好機だ。
 (玄蕃どのがあわや仕損じるところをこの亀丸天理軒がカヴァーできるとは……ヤ
ソは信じぬがまさにゴッドの導きじゃ。)
 なぜか英語混じりでそう考えると、彼はうやうやしく宇佐宮に席を譲った。宇佐
宮は何の疑問も持たずに眼下の死闘の見物を始めた。そばにいるのが自分を狙う敵
とも知らず。

                                                                  ASA