#22 Article 97 Posted at 1990/10/06 05:00:54 by ISAM (MAP1129) [GIRON]
Subject: Re:*4 「しりとり」の話は、どうして議論にならないのか? /96 ... /86 /84
いかにパソコン通信といえども社会常識に反する行為が横行するようでは困ります。 常識とまで漠然と言わなくても、法規の枠内にあるというのは事実です。そのために 、著作権上、問題がでる可能性があった歌詞の「しりとり」は中止になりました。 いかに自由といっても、法律に反するような行為があったとすれば罰せられます(あ たりまえ)。アーティクルの内容によっては名誉毀損などて訴えられることもあるかも しれません。 ところでEASTさんの疑問ですが。 僕なりに考えると、個人的なArticleを短期間に1000個ぐらい書くことは、物理的に 可能なら自由だろうとは思います。 ただし、ボードというのは多くの人の目に触れてしまうという意味では公共的な場所 でもありますから、そういった書込みがボード上にあることが不適当だと判断されれば 、削除されてしまう可能性はあるかもしれません。 しかし、書くこと自体は自由だろうし、削除されるとしても、削除される瞬間までは ボード上に存在し続けます。 これは他のメディアと比較して、パソ通の特徴の一つだといえるかもしれません。 ただし、これは可能であるというだけであって、そうしていいという話ではないと思 います。 例えば、ある書込みが、とある人物に精神的に苦痛を与える、又はなんらかの不利益 を与えるとすれば、普通の状況ではいかに自由といっても書込みを遠慮するのが、「常 識」というものでしょう。 「しりとり嫌い」という意見も、それについての議論も、当然自由に書込めますし、 自由に書込んだ結果として、ここげ議論らしきものが始められることとなったわけです 。さらには、中傷の類に近い書込みだって事実されているようであり、これも現実的に は自由なのです。 僕個人としては、上記の常識という部分では、通信に関してはかなりの部分まで容認 します。 つまり、「書くな」とは言わないということです。 しかし、常識というのは他人と同時に自分を守っているものでもありますから、それ を広く解釈するようであれば、自分にもそれが跳ね返ってくるということは覚悟してい ただきたい。 逆説的に言うと、フリーであると謳われているボードにおいて、自分の好みだけを盾 に、ある種のアーティクルの存在を「やめろ」と書くことさえも許されるということは 、そう書いてもいいという許容範囲の広さが、そこで論ぜられたある種のアーティクル の存在にも当然適応できるだろう、ということです。 ISAM