#22 Article 2693 Posted at 1995/12/02 09:27:48 by Ami (MAP404) [WHAT]
Subject: Re:*16 感想 /2692 ...... /2626 /2616
HIDE氏相手に議論することが、どんなことになるか予想がついたことと、それ
に頭つかうのが嫌でROMしていましたが、T.IWATAさんやRDNさんをはじめとし
て、僕が思っていたよりもずーとわかりやすい論理や例えで表現してくださって
ます。
それにもかかわらず、
>>「誰が何と言おうが俺が正義だ。お前等有象無象の言葉に耳を貸すつもりはない。
>> 俺は俺で好きにやらせてもらう。」
>>
>>といったことが私には読み取れますがこれで合っているでしょうか。
という印象をRDNさんに持たれてしまう答え(「反論」とはいえない。論理も
例えもでたらめだから・・・)しか返ってこない。
HIDE氏について、この一連の議論を続けようという気はありません。上で述べ
たように素晴らしい意見がすでに書かれており、それらに追加するものを持ってい
ませんし、熱心なキリスト教徒が、「聖書に書かれたことは全て真実、一片の誤り
もない」と信じていることを議論して変えさせることができないようなものでしょ
う。
ただ、この一連のやりとりを見ていて感じるのは、「言論の自由」とか「信教の
自由」などを自己に都合よく解釈し、思想的な背景として、多くの人々が不快と思
うことを実行しても、
1)その違法性の証明(論証)の困難さ。
2)事実を裏付けるための調査自体が困難。
という状況があるということです。数十年前にあったような倫理観が消えてゆき、
善悪基準・価値観が多様化した社会になったとき、「自由」だけが共通の価値観
として生残ったような気がします。もちろん「他人に迷惑をかけない範囲で自由」
という制限も共通の認識でしょうが、「迷惑をかけた」を認識できない人々が多い
のも確かだし、「ポアこそ相手のためになる」なんて言い分も出て来るわけです
から。
「みんなが安全に気持ちよく生活できるように」というとき、やはり「自由」
が侵されるように思えるような強制的排除とか捜査が実施されることも必要では
ないでしょうか。それが実行されないと、被害者は泣き寝入りするだけでしょう。
from ami (MAP404)