#22 Article 2225 Posted at 1994/08/15 05:01:48 by ISAM (MAP1129) [USHIRO]

Subject: Re:*16 うしろの正面だあれ /2224 ...... /3185(#20) /3176(#20)

わあい、ゆーさくせんせいさようならあなたのことは決して忘れません(^_^;)

 ぢゃなくって、僕がゆーさくさんその他(例えばKYOGO氏との話でも)のお話の中で
気にかかるのは、ラストシーンとかいったものが、まるで作品そのものの中で独立して
いて交換可能であることを前提とされていることですね。
 もちろん不可能であることを前提とするのは本末転倒で、じっさいにゆーさくさんが
やっちゃってるように、そりゃ物理的には可能なんす。でもそれが創作というレベルで
可能か? 可能としていいのか? というのがもしかしたらHIDE氏なんかが言いた
いことだったのかもしれない(つまり一番最初の書きこみでですがね)と、ちょっとだ
け思っちゃったりして。
 しかしですねえ、作品の到達しうる作品性というのを前提として、それを可能にする
方策としてのエンディングの差し替えを提案するっていうのは、ほとんど米国映画産業
のおハコてなもんで、ゆーさくせんせいにはハリウッド印を一個あげましょう(ここで
正直に言ってしまえば、こういうのって単に米映画がマスコミに対して露出度が高く、
この手の権利意識に厳しいだけということの裏返しであって、他はもっとひどいのかも
しれないけれど)。

 それ以降の話は僕は馬鹿なんでよくわかりません。

 でもまあ、手塚という人は、漫画以外の面では本当に神様でもなんでもないただの人
以下だなあ、と思わせてしまうような引用はどうかと思います。
 最後に個人的な立場を表明させていただくと、作品と批評を明確に分節しようとする
のはやっぱり恣意的じゃあないかと思います。そりゃ労力はケタ違いかもしれないけれ
ど、創作からネット書きこみのみ分離しようとする試みは残念ながら不可能でしょ。
 そういった意味では、HIDEさんの書きこみにはほとんど賛同できません。


               せんせいの誕生と副題をつけようか ISAM