#212 Article 737 Posted at 1996/10/13 19:13:07 by ヒライマ (MAP6478) [MIZUIRO]
Subject: アニメ版水色時代の傾向と対策(?)
アニメでの改変についてつらつら考えてみたのですがいくつかはっきりした方針が
見て取れます。
第一に 「やたら気遣い、それをよしとする」
相手のことを思いやる、また、お互いに察し合う、それがなんの疑問もなく
よいこととして提示されます。
例えば「ダイエット」では一緒に旅行に行く友人達の事情を考慮することもなく
ヒロシが優子の気持ちを先回りして察してやっぱり山にしようと言います。そして
優子はそんなヒロシの気遣いをうれしく思い海でいいと言います。
「恋と友情」ではヒロシはサッカー部のキャプテンという立場を放り出して優子を
さがしまわります。
一方、裏にあるエゴには決してふれようとしません。
最も先鋭なかたちであらわれたのが「仲たがい」です。
タカ子が「なにガマンしてんのよ!?」と追及するところまでは原作もアニメも
ほぼ同じです(状況設定は違いますけど)。
原作ではそのあと優子が
「だってタカちゃんたちワガママじゃん! あたしはどっちとも仲よくしたいし
ふたりが仲よくなれるよーに…って思って それでガマンしてるのに…!」
と言います。要するに
「悪いのはあんたたちでしょ。わたしは気を遣ってやってるのに」
と主張します。
もちろんタカ子たちは納得せず、さらに追及され、自分の行動のもとにあるエゴに
向かい合うことを余儀なくされます。その果てに優子がしぼりだす言葉が
「キラワレるのやだもん…!」
「みんなにキラワレたくなくてウソついて…
結局それでヒトを傷つけちゃうんだ…」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それに対しアニメでは
「ヤだもん! あたしどっちに嫌われるのもヤだもん」
という言葉を口にはしますがタカ子たちを責める言葉に続けて言うので自分の
エゴに向き合う意味は消えてしまいます。
その後の優子のモノローグをみてもわかります。
「どうして?どうしてこうなっちゃうの? いつもこうなんだ、あたし、みんなが
いいようにって思ってやることがみんなを怒らせちゃう 三人って難しいよね」
気遣った結果裏目に出たことは反省しても、その動機に目を向けることは
ありません。
この後タカ子たちが謝りに来て、言いたいことも言えない、摩擦を避ける関係が
できあがります。
第二に 「社会正義に反するようなことは認めない」
^^^^^^
「バレンタイン・デー」で井川はチョコを全員に返しました。
「先輩後輩」では優子の方から後輩に挨拶するようになりました。
「嵐の季節」では妊娠の噂はデマでした。
「ふつう」では井川がトンちゃんをひいきしているというのはデマでした。
「笑わない代ばば」では体罰をしませんでした。
「すれちがい」でお母さんのセリフを変えたのもこれでしょう。
原作のセリフを「妻は夫につくすべし」と主張しているように感じたと考えれば
説明がつきます。
第三に 「性については保守的で、はっきり描かない」
「すれちがい」では「生理」を穢れたものとして扱っています。
(多分に感覚的なものを含むので説明はパス)
「嵐の季節」では、原作の優子は
「ヒロシくんなら信じられる… だからもーちょっとまっててね」
という気持ちになって終わるのですが、アニメではとことん潔癖症で、ヒロシが
反省してるのをみて仲直りするだけです。
こうして整理すると、アニメの背景にある思想(と言うと大げさですけど)が
みえてきます。
「良心的」 という言葉で象徴される価値観です。
アニメの水色時代がやりたいのはこれに沿ったかたちで思春期の女の子の日常、
心の動きを描くことなのでしょう。
そのために、優子は、理不尽な人間関係、社会に直面してあがくこともなく、深く
自分を省みることもなく、摩擦を避けることに汲々とし、悩んでみせればまわりが
なんとかしてくれる、そんな女の子になってしまったわけです。
……ふう
わたしはアニメから入りましたが今ではすっかり原作ファンです。
アニメはアニメでやりたいことをやればいいわけだし、原作をふみにじってでも
作りたいものを作るという態度は好きですけど…
原作とは絶対に相容れないものを説くために原作のエピソードが使われるのが
みていて哀れです。
「ふつう」みたいに一から作りなおしてくれると楽なんですけど。
アニメのスタッフは天晴れというべきでしょう。
ヒライマ(MAP6478)