#210 Article 14787 Posted at 2000/06/21 06:56:50 by 高木志郎アオ (MAP3887) [TV]

Subject: 1978

1978年1月1日から始まって同年12月31日に最終回を迎えた、この年を象徴
するような作品といえば…

『ペリーヌ物語』(1978/1/1~フジ)日本アニメ
 エクトル・マロ原作の『アン・ファミーユ』のアニメ化。アン・ファミーユ
(En Famille)を邦訳すれば「家庭にて」「家庭を求めて」といった意味だが、
出版されている本のタイトルは『家なき少女』となっている。これは作者マロ
に『家なき子』(Suns Famille)という代表作があり、『En Famille』は、その
姉妹編ともいうべき作品として『家なき少女』になったようだ。
 というわけで、東京ムービー新社の出崎統監督『家なき子』と、マロ原作の
名作アニメの競作となった。
 脚本の宮崎晃は「『アン・ファミーユ』は決して名作ではない。その証拠に
は翻訳王国の日本で、これを完訳本で出している出版社はない。わたしも戦前
の岩波文庫で読んだ。子供向きに簡単にしたものは何冊か出ているが、これで
子供が喜ぶのかしらと思うような内容だ。わたしは思いきって主人公の年齢を
下げ、少女と祖父の関係も『小公子』のように祖父をとてもいい人だと信じ込
んでいる孫の気持ちを裏切るまいと、祖父がいい事をし続けるうちに段々と本
当にいい人になって行くというように変えてみようかとさえ思った。しかし、
そうすると原作を根本的に変えることになり、それではこの原作の脚本ではな
く、まったく新しい物語を作るのと同じになる。一年間五十二話(実際は五十
三話になった)を原作以上に面白いオリジナルな話を作る才能も時間もわたし
になかった。そして、悩んだ末に原作の形を基本的にくずすまいと決心した。
だが、もちろん脚色すること自体、原作を離れることになる。丁度、朝日ソノ
ラマ社から、テレビの脚本にそって(つまり原作にない登場人物や動物やエピ
ソードもある筈だろうから)『ペリーヌ物語』を書いてくれという注文が来た
ので、自分でも物語全体のパースペクティブを得るために、テレビ版『アン・
ファミーユ』を書いてみた。そして、これならいけるというメドがついた。実
は今でも秘かにわたしの書いた『ペリーヌ物語』の方が原作よりずっと面白い
と確信しているくらいだ。こんなこと書いた以上あの世へ行っても決してエク
トル・マロ氏には会わぬようにしようと思う。」と記している。
 監督の斎藤博は「『ペリーヌ』は、はじめは別の人が監督をやる予定でした。
とにかく急に決まった話で、フランスへロケに行けず、スタッフも足りなくて
正直言ってこれは途中でクビになると思いました。なかばヤケになって始めた
わけですが好運だったのは宮崎さんの脚本があった事です。それに原作の力も
大きいと思います。古典として優れた作品でしたね。自分の仕事としては反省
点が多い作品ですが途中で盛り返したと思いますよ。」と語っている。
 キャラクターデザインの関修一は「『ペリーヌ』のデザインは、最初の名作
だったせいか、ガチガチなぐらい力が入ってました。それまでの名作劇場が素
晴らしかったんで、森(康二)さんのデザインはかなり意識しました。好きで
したしね、森さんの絵が。」と述べている。
 声優の鶴(当時は雨かんむりがついていた)ひろみは「この作品は、私の人
生を変えたと言っていい大切な作品です。当時、高校卒業後は、アメリカで演
技の勉強をする予定でした。しかし、初めてのアニメのレギュラーが決り、声
の仕事に興味を持ったのです。それがこの作品。ペリーヌの生き方に大きな影
響を受け、今でも彼女を目標にしているのです。」と語っている。
「♪なまえはバロン きまぐれな犬~」
 作曲の渡辺岳夫は「ぼくはバロンがとてもすきで、『ペリーヌ物語』よりは、
この曲の方が気にいっています。チャチャのリズムではじまって、サビのとこ
ろから、コンチネンタルタンゴのようにしました。すきな曲です。」という。

 1978年といえば、私は高校2年から3年。受験生の頃で、ペリーヌちゃんは
暗くなりがちな私の心にさした一条の光でした(笑)。
 そして、'78年12月3日に代々木ゼミの模試から帰って第49話「幸せの涙が
流れる時」を見たり、12月24日の英進予備校の模試のあとに第52話「忘れられ
ないクリスマス」を見て感動していたというわけです。
                        21世紀まで、あと194日   高木志郎アオ