#210 Article 14589 Posted at 2000/03/12 07:30:07 by 高木志郎アオ (MAP3887) [TV]
Subject: Re:*74 20世紀 /14587 .................... /14463 /14452
1969年のテレビについて語るに際し、お笑い番組にも触れておこう。
『8時だヨ!全員集合』(1969/10/4~TBS)
土曜夜8時といえば、'68年はNET『素浪人月影兵庫』が独走だったが、
同年秋、フジテレビの『コント55号の世界は笑う!』がそれをストップした。
TBSの古谷昭綱ディレクターは、コント55号などのハプニングやアドリブで
予想外の効果をねらう番組の横行に対し、逆を行こうと考えた。徹底的に計算
した笑い。つまりアドリブとハプニングを演出しようというわけで、その素材
がザ・ドリフターズだった。
一本の番組のために、立ち稽古が5時間以上、セットの中でのリハーサルが
10時間以上、公開録画の会場では朝から厳しいリハーサルが続いた。台本には
本番でしゃべったり動いたりすることの2倍近い量が書きこんであり、稽古を
しながら、それをそぎ落としていった。笑いを連発する上で少しでもスキ間が
発見されると、それをうめるため全員が考え込んだ。いかりや長介は2時間も
考え込んだという。立ち稽古が終わると、台本はもはや原型をとどめなかった
そうだ。
いかりやは「ぼくは結果としては妥協しても、完全主義者なんです。いや、
そうありたいと思ってます。性格的にはイチズなほうでね。稽古をミッチリや
るのも、本番でもないのに本気で叩いたりするのも、そのせいです。笑っても
らえなかったら、ぼくらクソの役にも立たない」と述べている。
1969年秋、ドリフとコント55号はガップリ四つに組み、結果はドリフの勝利
であった。'70年に『全員集合』は視聴率40%以上の怪物番組となって、'73年
に加藤茶が「タブー」に挑戦すると50%を超え、「ちょっとだけヨ、あんたも
好きねェ」というセリフが大流行した。
その後も'80年に加藤茶と志村けんの“ヒゲダンス”、志村「カラスの勝手
でしょ」、'81に「ナマムギ ナマゴメ」の早口ことばが流行するなど、流行源
となった。
『巨泉・前武ゲバゲバ90分』(1969/10/7~NTV)
火曜の夜8時から90分にわたって放送された新機軸番組。ナマ放送、ビデオ
撮り、フィルム撮りなど臨機応変な形式で、内容は全編ギャグを並べただけと
いった感じで、15秒スポットのようなコントが、とめどもなく出てきた。
木下蓮三は、大阪のテレビコマーシャル製作会社で、木村角山(政岡憲三の
カメラマンとして活躍)からアニメの指導を受け'63年プッペプロダクション
を設立、CMや『ビッグX』『オバQ』などの下請けをした。'66年、虫プロ
に入社して原画や演出を担当するが、'68年には退社してスタジオロータスを
設立、『ゲバゲバ90分』のアニメ部分を製作した。
かくた さん が『踊る大捜査線』は長さんだと言ってたけど、いかりや長介
の実直さというのはホントに魅力的です。『ダイガード』に欠けているのは、
長さんのような感情移入できるキャラだと思います。
日本のお笑い番組は、この時期がピークだったのではないでしょうか。以後
お笑い芸人は何人も登場してますが、作家や演出家が出ていないと思います。
アドリブやハプニングによる面白さではない、計算し尽くされたギャグを再び
見てみたいものです。
21世紀まで、あと295日 高木志郎アオ