#210 Article 14563 Posted at 2000/03/02 06:37:31 by 高木志郎アオ (MAP3887) [HOSHI]
Subject: Re:*64 20世紀 /14561 .................. /14463 /14452
梶原一騎は、1962年「少年マガジン」に掲載された吉田竜夫のプロレス漫画
『チャンピオン太』の原作者としてデビューした。梶原は、本格的な小説家を
志していたが、生活のためにスポーツ新聞記者や格闘技のスポーツライターを
していた。「少年マガジン」編集長牧野武朗は、漫画には画を描く人間とは別
に原作者が必要だという持論があり、梶原を原作者として起用したのである。
しかし、梶原の目標はあくまでも大人の小説で、漫画原作を書くことは自分
のプライドに関わると思って当初は嫌がったという。
当時の漫画は、手塚治虫の初期作品に見られるように現実から離れたSF的
な発想から生まれた作品が多く、少年をとりまく人間関係を取り上げた漫画は
無かった。1965年7月「少年マガジン」第3代編集長となった内田勝は、まだ
描かれていない少年と父親を主人公にした人間ドラマを描くように梶原を説得
した。そして梶原と内田が考え抜いてできあがったのが『巨人の星』である。
『巨人の星』(1968/3/30~YTV)東京ムービー
基本的に梶原一騎&川崎のぼるによる原作に忠実な作りといえるが、小学校
時代のお金の盗難疑惑やハワイ帰りの俊足ライバルなど、原作に無いシーンも
描かれた。
長浜忠夫の演出では心理描写に力点が置かれ、ライバル対決では一球ごとに
回想シーンや気持ちの葛藤などが描かれた。
原作では一球ごとに心中でえんえん独白するが、テレビでその手を使うと、
マウンドとバッターボックスの間が1キロもあるように見えやしないか?
飛雄馬も伴も滂沱たる涙を流す。ギャグタッチで処理するわけにはゆかない
が、その涙をどう描くか?
初めての劇画アニメなのでライターの辻真先らはディスカッションしたそう
だ。が、結局原作どおりの描写となり、どれも視聴者はあっさり納得した。
後にサンライズでロボットアニメを手がける長浜忠夫監督と富野喜幸監督は
『巨人の星』放映前に出会い、富野は7、8本のコンテをきったという。
富野は後に「長浜監督との出会いはかなり鮮烈であった。」「ダイナミック
に動き回り、アフレコ前のラッシュに自分で科白をあてて台本をチェックする
監督なぞ、長浜監督をして初めて知った。」「アニメにこれほど率直な情熱を
注ぎこむことのできる長浜監督をうらやましく思った。この頃の僕にとって、
アニメはメシの種以外のものではなかったからだ。」と書いている。
『巨人の星』の登場により、スポ根ブームが到来することになります。
とにかく、これで“燃えるアニメ”という概念が生まれ、私も魔球の特訓を
してました(笑)。
エポック社の消える魔球付き野球盤は1972年登場だそうですが、ウチの廉価
版の野球盤には魔球装置は付いていませんでした。
21世紀まで、あと305日 高木志郎アオ