#210 Article 14470 Posted at 2000/01/05 07:05:19 by 高木志郎アオ (MAP3887) []
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日本では、1914年からE・コールやJ・R・ブレイらの作った外国アニメが
輸入上映された。それらの漫画映画はアメリカ製もフランス製もすべて『凸坊
新画帖』というタイトルで公開された。
国産漫画映画の誕生は1917(大正6)年で、漫画家の下川凹天の『芋川椋三・
玄関番の巻』、幸内純一の『塙凹内・新刀の巻』、洋画家北山清太郎の『猿蟹
合戦』というそれぞれの処女作が公開された。
下川凹天は数本のアニメーションを製作したが、自分で考案したアニメ撮影
法で目を痛め、すぐに元の漫画家に戻ってしまった。
幸内純一は20本以上の短編を製作した。弟子に、後に千代紙や影絵のアニメ
ーション作家となる大藤信郎がいた。
北山清太郎は日活で日本の昔話など20本以上短編を製作し、1921(大正10)年
北山映画製作所を設立して本格的なアニメーションの製作を始めた。弟子には
後の東映動画の中心となる山本早苗、昭和初期に活躍する木村白山らがいて、
現在までつながる日本のアニメーションの大きな流れのもとを築いた。
大正時代になって、わが国でもアニメが作られるようになったわけですが、
何の参考資料も無い時代ですから、外国アニメのフィルムを解析して試行錯誤
を繰り返し、手探りで制作していったみたいです。
こういうパイオニアとなった人々がいたから、いま日本でアニメがいっぱい
作られてるんだよなぁ~とか思うと感慨を覚えます。
21世紀まで、あと362日 高木志郎アオ