#21 Article 6180 Posted at 1996/07/11 23:56:00 by 夏のこたつ (MAP2513) [MAISON]

Subject: Re: Re: Re: めぞん一刻 /5512(#70) /5509(#70) /5457(#70)

> 私もキャスティングについては不満はなく、ぴったりと思います。関さんの
>件はただの希望なので(^_^;)。確かに五代君の情けない声は、二又さんの声が
>合っていますね。

キャスティングに関しては、正直私は今でも疑問を持っています。

そもそもあの番組に関わったメンバーは皆当代の一流であり、技術的には
何等不足はなかったと言えると思います。しかし、ここでキャスティングを
議論の遡上に載せるとしたら、それはその技術的な要素をある程度「当然」
満たされるべき要件と考え、その上で各声優の持つ声質であるとか、微妙な
いいまわしのクセなども含む「個性」の要素を問題にするのだと思います。

さて、ここで技術的に一流であるということは、とりも直さずどんな役を
演じたとしてもある一定以上の水準が確保されうるということが結果として
言えるのだと思いますが、それでもある程度経験年数は必要です。
それゆえまだ各声優が慣れていない初期の段階にこそ問題が端的に示されて
いるのではないかと私は考えました。

ミスキャストというと表現は強いですが、「最高の組み合わせ」という意味では
決して表現出来ないのが、主人公2名のキャストだと思います。

まず五代の声の二又さんですが、それ以前にうる星でチビの役などを
こなしておりますが、気の弱い情けない雰囲気は、技術的な要素もあるとは
いうもののある程度本人の個性と言っていいでしょう。

ここで五代裕作と言う主人公の役柄を考えて見るに、この主人公が持つ
情けなさは、主人公本人のというだけでなく、世の男性一般を指して
表現されている瞬間が多々あると思うのです。(ここで原作における普遍性の
要素は、響子さんが女性の持つ性質を象徴的に表現しているのと比べて
五代の場合はやや表現に甘さがあるとの指摘は多いですが、ここでは
あまり深くは触れません)そこでアニメにおける二又さんの表現を考えるに、
その強い個性が普遍的な要素を表現するのに妨げとなっていたのではないか、
五代裕作という一個人に対する表現にとどまってしまっていたのではないかと
いう疑念があるのです。実際アニメ化に当たって五代のキャスティングは
最後までモメたと聞きました。これは上記のような要素を無意識的に関係者が
感じ取っていたからではないかと想像しております。

響子さんの場合も同様、若干の違和感を感じました。
これはヒロインが極めて多面的な性格を持っており、一方島本さんが全般的には
やはり穏やかな声質の持ち主であることに起因すると考えております。
具体的に言うと、響子さんが実の母親と言い争う場面がありますが、あの場面は
かなり響子さんもポンポン言っています。さすが親子というくらいに(笑)
こういう瞬間は、単に迫力というだけでなく、例えばディードリット演じるところの
冬馬さんみたいな、内面的に意思の強さを感じさせる人の方が良いと思うのです。
(小山さんとかよかったかもしれない)また、嫉妬のシーンなんかはなかなか
面白いですが(笑)これもどっちかというと小原乃梨子さんの方が表現に幅が
出たのかな、という印象でした。つまり本質的に1名の人間で演じるには辛い
側面があり、だからこそ島本さんの個性を考えると、手に余る瞬間もなきにしも
あらずか、という思いは残ります。

ま、結局はそれなりになかなかの表現を見せてくれたわけですが、
例えば「ルパン=山田康夫氏」のような何か絶対的と言える境地と比較すると
それなりに差があるのは否めないと思っております。

>   そう、無理に原作と比較する必要もないのではないかと思います。オリジナル
>   として見ても、お釣がくるほど堪能できる程の出来だと僕は思いますよ(^^)。

「アニメは原作とは別物」とはしばしば言われますが、これは換言すれば
わざわざこのセリフが繰り返して言われるのは、繰り返して言わなければ
ならないほどそもそも切り離す事が本質的に困難であることの現れだと
思っております。またこの「めぞん一刻」という作品の場合、切り離して
考えるというのはそもそも全く不可能だと思っております。

実際に「切り離す」と言ったときに、何をどう切り離すのでしょうか?
この「めぞん一刻」の主人公の性格も世界設定も、高橋留美子が天才的な着想を
持って成立せしめたものであり、まさしくその設定を実質的にほぼすべて
もってきているわけです。ここで別物というと、キャラや世界観の設定だけ借りて
別のテーマを表現するとでもいうことになるかもしれませんが、それがアニメの
「めぞん一刻」に多少なりともあてはまるかというとそれは疑問です。
例を挙げましょう。原作に「キッスのある情景」という話があり、めぞんの
ある性質をとても良く表している回です。これのアニメ化は、見事なまでに
駄作に終わっております。完全な原作の改変というのは、意図するところを明確に、
全体の中での位置付けを考慮しなければ何の意味も持たないということを如実に
表しております。原作の連載の流れのあの時期にあのエピソードが入っていると
いうのは偶然でも何でもなく明確な意味があり、それを改変したからには
それなりのフォローがあってしかるべきなのですがそんな風もない。
そもそも傑作と称される原作をもってアニメ化する際には・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・疲れた(おいおい)

とまぁ、アニメが継続している時期にメイプルが今のような形で存在しておれば
こんな文章がえんえんと書きこまれるわけです。(笑)

ちなみに自分の場合だとこの調子で毎週数十Artは書き込むでしょう。
もっとも、暇な学生時代ならという条件が付きますが・・・・・(^_^;)

ファンにとっては、その作品はもうひとつの自分の生きる世界。
めぞん一刻はそれを極めて端的に表している作品ですね。

私は自宅の本棚で、源氏物語の隣にめぞん全巻を並べて、友人が来る度に
「日本文化が恋愛について語った成果を示す、歴史に残る二大作品」と主張して
いるのですが、さすがにこのネット仲間にもなかなか賛成されなくて(笑)

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