#20 Article 3185 Posted at 1994/08/10 21:56:40 by ゆ~さく (MAP1754) [USHIRO]

Subject: Re: うしろの正面だあれ /3176

>戦争の悲惨さが出ていたのではないかと思います。とはいえ、基本的に子供の視点で
>描かれているみたいで、本当に恐ろしい事にフィルタがかけられている様な気が
>したのです。

少女と共に確かにその時代を生きている気にさせる演出力、当時の風物をまざまざと
蘇らせる美しい美術等を楽しんでワタシも観ていましたが肝心のラストでお母さんや
家族のユーレイが出て来て「生きるのよ」とか何とか励ます辺りで「だぁぁ」となっちま
いました。
いや、こーゆー映画は作るだけでも価値があるので、別にこんな事言う必要は無いの
ですが、どーも最近の反戦作品は「優しさ」にシフトし過ぎて大事な物を失っている様な。
「優しさ」がいけない、とゆーんじゃありません。まず観てもらう事が大事、ついで
感動してもらう事が大事なので観客をイヤな気分にさせる事は最大の反則行為。
この監督も最後に何か「救い」を観客に与えて劇場から出て貰おうと考えたのでしょう。
しかしその「救い」がメッセージ性を薄める結果になっちゃってるのはどーも…。
観客を安心させてしまっては駄目だ。安直な感傷や優しさは単なる通過儀礼として、
せっかく受けた追体験を甘ったるい涙の果てへ葬り去ってしまう。残らない。
少女が「失った」物は完全に「失った」ままでなければ駄目だ。
その一部だけでも、映画の中でだけでも少しだけ少女に与えてやろうなんて考えは
一見「優しさ」の様でいて、逆に傲慢ではないかとすら思う。

例えば「禁じられた遊び」は、戦争の現実を描きながらも詩的で時として美しいタッチ
で観客の心を最後まで放さない。決して観ていて不快な映画ではない。感動する。
しかし、ラストシーンでの強烈なメッセージはナイフの様に鋭く、親を失った少女の
呼び声はあくまでも残酷で孤独であり、美しいテーマミュージックとあいまって
永遠に観客の心にこびり着いて離れない。
「ジョニーは戦場へ行った」も不快な映画では無い。あの筆舌に尽くし難い悲惨な状況を
美しいブルースの様な、一種不思議な流れに乗せて拒否反応を起こすこと無く観せて
くれる。しかし、ラストシーンで主人公に「救い」が訪れてメッセージ性が薄まるなんて
事は無い。彼は死ぬまで病院のベッドでSOSを打ち続けるだけである。

以前、高畑監督の「炎垂るの墓」にも同じ様な、近い感情を感じた。
いや、あれもとても優れた仕事なんだけれども。
でも若かりし頃の監督の仕事のレベルを知っている者にとっては、ちょっと。
「炎垂るの墓」は過酷な時代の中で死んでゆく子供達をドキュメンタリの様な
冷静なタッチで描きぬこうとした試みなんじゃないかと思うけど、ラスト近くで
多分高畑監督は子供達が可哀相で可哀相でたまらなくなってしまったのではないか。
ラストでカメラは、彼等から身を引く様に離れて、距離を保ってしまう。
まるでその結果を見るのを恐れるかの様に。

だから、観客を最後まで劇場の椅子から立ち上がらせ無い、意志を持った「優しさ」
ならいいと思うんだけど、監督が「優しさ」を口実に一番残酷な、そして一番描かな
ければならない所から逃げては駄目だと思うのよ。

ガス自殺したピューリッツァ賞写真家が撮った「ハゲワシと少女」って有名な写真、
噂通り彼は飢えた少女が力尽きてハゲワシに食われる所を看過したのかどうか
ワタシは知らない。しかし彼がそこでそれを撮らなければその悲惨な現状は決して
世界中の何億という人々の心には残らなかった訳で。

で、「うしろの正面だぁれ」の話に戻るけど、ラストの演出で「こうしたらどうか」と
いう実案を示すとしたら、『慕情』のラストシーンみたいな演出が使えたんじゃ
ないかな。少女カヨ子が焼け跡でうずくまった後、ふと目を開けると父母も兄弟も
居て、家も元どおり。暖かい食事の風景。ああ良かった、皆んな悪夢だったんだと
思うと何の前触れも無くブツッと画面は飛ぶ様に情景は元の焼け跡に戻る。
その方がまだしも「失う」というテーマが活きたんじゃないかと思う。
それで終わりじゃ余りに余りなんで、後は例えば焼け跡の茶筒の中からもしくは
最初から持っていた荷物の中から母の手紙を見つけるとか、その言葉に勇気づけら
れるとかゆーシカケでラストに持ち込む、と。

汚い物を観せた後で、ああ恐かったですね、じゃあないないしましょうね、で
もう一度蓋をしてしまうなんて描き方はこーゆーテーマの場合はして欲しく無い
ですね。「愛は~いつも~包んでく~れ~るぅ~♪」なんて主題歌もちょっと、ね。(^^;

							ゆ~さく!