#19 Article 2317 Posted at 1994/07/02 07:53:07 by 鳥坂(細川)司 (MAP703) [R]

Subject: 田切の私

「元・鉄ちゃんの独白」

専門用語が多いので心して読むように((笑))



ちょっと岐阜へ行く用事があったので、ついでに田切へ寄ってきました。

ほんとにちょっとだけだったので、ロクに撮影もできなかった。(トホホ)
(スジどころか時刻表すら不携帯)
もっとも119系ばっかりで、撮ってもでんでん面白くありませんが。

今回は車で移動だったので、定番・中田切川橋梁はダイヤが合わずにパス。
駅から撮れてお手軽な大田切川橋梁のロングと田切駅での数カットがやっと。

飯田線沿線は2~3年ごとに訪れてはいるものの、ここんところ車ばかりだったから、
久しぶりに深夜(?)の列車に乗ってみる。
宿のある駒ヶ根から、19時前の南行で飯田へ。途中、鼎駅で交換の相方を手持ち
スローに挑戦(まぁ成功)。飯田駅周辺をふらつくつもりだったのだけれど、大雨に
嫌気して、そのまま天竜峡へ。ここでも接続の中部天竜行き最終にトライ(これは失
敗)。折り返し辰野行き最終に乗って駒ヶ根に着いたのが23時近く。三脚を持って
こなかった(お馬鹿)せいで、帰りは殆ど何もせず。

駅(無人駅が増えた)も車両(119系嫌い)も変わったけれど、お客も何となく変
わったみたい。でも全体としては昔の雰囲気なんだよなぁ。
昔の彼女と会って寝てきたような感じ。何となく懐かしい。

話は前後するけれど、日中の田切駅へ寄ったついでに、すずらんパン屋(本当の名前
は別にあるのだろうけど、光画部の連中はここですずらんパンばかりを買っていたの
で、こう呼んでいた。今回も名前を憶えられなかった・・・・。)にも寄ってきまし
た。オバちゃんも何となくしか憶えていないみたいだったけど、あの当時全国の鉄研
が集まってきていた訳だから当然と言えば当然。
色々話したのだけれど、印象的だったのが、最近は電車の写真を撮りに来る連中より
も、田切駅を目的に車やバイクで来る連中のほうが多いということ。

あ゛~。

確かに俺ら鉄道マニアは、田切へ行ったらやる事ぁひとつなのだけれど、そうでない
連中は駅拝むくらいしかやることないものねぇ。((笑))

田切駅は有志の人が集まって、掃除とかしてくれてるみたいで、噂ほど荒れていなく
ホッとしました。駅には旧田切駅(かの山田さん所有!だった)を偲ぶパネルが展示
してあり、たいへん結構なことです。で、そのなかに「奉納してあった謎のたぬき」
という写真があり少々びっくり。あの「たぬき」は、光画部の連中が天竜峡の楽焼き
屋で造って設置したもので、背負った笠が紅白の後光のように塗り分けられ、背中に
は「DEVO」だの「TECHENO」だの書いてあるキワモノです。なんでも熊寺
(聖徳寺のことを我々はこう呼んでいます)の人が写真に撮っておいてくれたそうで
す。

聖徳寺といえば、その昔飯田線旅行の時に、泊めてもらおうと頼んで断られた経験が
あります。ところが、去年の大晦日に田切駅に泊まった連中(何と12人!)がはみ
出して凍えている時、寺に招き入れてくれたそうです。うーん。変われば変わるもの
だ・・。でも、12人は無謀だし、正月とかお盆とか大晦日とかその辺は避けたほう
がいいです。「地元との摩擦は極力回避」が撮影会の鉄則です。

あと、当然のことですが田切駅周辺には温泉はありません。その点は創作です。
あるのは養鶏場と養命酒の工場ぐらいです。あ、聖職の碑のモデルになった遭難の慰
霊碑があったかな。飯島尋常小学校の生徒の。(「この子達は私の命だーーーっ」っ
て叫ぶ映画です。)
山田さんは実在しますが容姿等は創作です。山田さん宅には光画部の連中が泊めても
らっていました。代わりになんか難しい話しを、延々拝聴した気がするが・・・。
地元の名士なんだそうです。 (注)家を探さないように!

で。
一部ではなんか有名になってますが、田切って大字の名前でしかないんですよね。
正確には長野県下伊那郡飯島町田切っていうのが駅の所在です。飯島町っていうのは
結構大きい町なのですが、伊那と飯田に挟まれて結構苦しいところです。隣の赤穂は、
駒ケ岳観光の威力で市に格上げになり、駒ヶ根と名を変えてしまいました。
人口増は無理にしても、知名度アップとか・・・・。
飯島町が変な色気を出してこないことを祈るだけです。

撮ってきた「田切駅」の写真を展示会風にまとめてみました。
その他のデータのボードにUPしておきます。(観る奴いるか?)



                      実は元鉄道研究部部長

                              とりり