#158 Article 673 Posted at 1995/02/04 11:57:23 by ナリ (MAP4662) [NO.56]
Subject: Re:*20 人類の未来をかけて /667 ....... /605 /603
ナリです。フォローありがとうございます。
確かに、スネーカーの言動を考える際には、ヤツ一流の行動原理「業績主義」
(いい言葉が思いつかなかったもので、知人の言葉を借りました。適切なター
ムがあれば随時改めてください)が維持されるように読まなくてはいけません
ね。
それはそのとおりなのですが、それではなぜ、スネーカーは有機知性体をそ
のまんまに生かしておくことが、従来やっていたよりもより効率的な「知性」
の発達をひらく可能性を持つ、と断じえたのでしょうか。
確かに、スネーカーはまだ、有機知性体でうまくいくとは思っていないんで
すよね。だからこそ、従来の方針を捨てずに残した。うまくいくかどうかはあ
くまで、今後の検証作業によって明らかにされる。だから今のところは放って
おこう、という理屈ですね。
でも、スネーカーは唯(たち)の考えに対して、「そんなサル知恵など!」
とか言って、門前払いすることもできたはず。そうせずに、そういう方向性を
れっきとした選択肢の一つとして認めたということは、それに先んじて、そう
認めるだけの根拠をスネーカーは何らかのかたちでつかんでいた、ということ
を示すのではないでしょうか。
そのところを詰めるには、スネーカーと唯の間に交わされた対話の内容を細
かく検討していく、というやり方を採る必要があるのですが、今はちょっとそ
の余裕がないので、現時点での個人的な見通しだけ述べておきます。
羽鳥さんがおっしゃるように、大きな流れで見るかぎりでは、スネーカーの
「業績主義」は終始維持されていたのでしょうが、上に挙げた、有機知性体を
生かしておくことが、選択肢の一つとして認めるだけの根拠をつかむところで、
スネーカーはすでに有機知性体の「自我」の枠内にハマって思考してしまって
いたのではないでしょうか。
そう思わせる手がかりとして、スネーカーが唯に問うた問いの内容、もう少
し正確には問いの立て方、というのが挙げられると思います。ああいう聞かれ
方をされたら、唯じゃなくてもああ答えると思うんで(あのシーンの唯は、唯
でありながら同時に個としての唯を超えた、有機知性体を代表してのものです
ものね。そう考えないと、ハダカにした意味がない…)、問いそのものがそう
した答えを予想していた、と考えることができるのではないでしょうか。
そしてそれは、そうした方向にこそ有機知性体を生かしておくことの(「知
性」のより効率的な発展のためではあれ)有効性があるのでは、という把握が
スネーカーの中に先んじてあった、ということを裏書きするはず…。
でもその把握は、ヤツの行動原理である「業績主義」そのものからは導き出
せないのではないでしょうか。せいぜいが「そうした方が結果的にいいかもし
れないからだ」という「業績主義」の唯一の内実を、同義反復的に繰りかえせ
るにすぎない。それこそ、「相手の身になって考える」がごとき有機知性体の
「サル知恵」にハマってみないことには…。
…みゅー、頭が混乱してきた。
//ナリ(MAP4662)