#158 Article 643 Posted at 1995/01/30 03:00:52 by ナリ (MAP4662) [NO.56]
Subject: Re:*13 人類の未来をかけて /642 ..... /605 /603
ナリです。お久しぶりでございます。
『ジーンダイバー』のオチは、僕にとってはストーリー的にすっごく唐突な
感じがして(あんなことスネーカーに突然言われても、ストーリー的な心の準
備ができてない…)今でも納得がいきません…。ああいう唐突さについていけ
ないとSFを読む資格がない、なんて言われたら困ってしまう…。
お子様もSFオンチ(の僕)も見ているアニメなんだから、SFであること
をめざす前に、ちゃんとした“物語”を作ることを要求したいんだけど…。
ま、終わっちゃったもんはしょうがないか。最終回を見て気になったこと。
1)オープニングの馬は何を意味しているのか?
すでに指摘されていることですが、タイトルカットに出てくるレリーフ共々、
今でも何を指してるのか(もしくは象徴しているのか)全くわからん。候補は
挙げようと思えば出てくるけど、他ならぬ馬であることの説明がつかない…。
馬って、伝説とか神話とかの世界では、知性を持った頭のいい生き物ってい
うイメージがあったはずなんだけど…。ううむ、かえって混乱したわい。
2)「道具」になるっていうのはどういう意味?
とりあえずスネーカーの言っていたことはそれなりに筋が通っていたんで、
それはそれでいいんですけど、最後の最後でスネーカーは、かくかくしかじか
なら喜んでお前たち(有機生命体)の“道具”になろう、みたいなこと言って
ましたが、あれって虎哲が聞いたら怒りだしそうですよね。
いつぞやのティルも言っていたように、『ジーンダイバー』の物語の内側の
論理では、コンピューターって「有能な協力者」なんでしょ? だから、あそこ
でも「協力者」とか「パートナー」とか言ってほしかったな…。なんであそこ
だけ物語の外側の考え方(現実世界でのコンピューターは人間の道具である、
という常識)に引きづられちゃったんだ?
それとも「自分よりも有機生命体の方が“よい”頭脳を持っていたことがわ
かったときは、どうか私を家来にしてください」って意味なのかなあ。これは
ちょっとスネーカーのあり方として不自然だし…。
それとも、スネーカーという形態をとって示されたアレは、そもそもサルや
ネズミのなり損ないたちが作ったコンピューターなどとは以って異なるものな
の? だったら「道具」っていう言葉を使ったことがますます不可解になってし
まうけど…。
3)唯のハダカは映像表現として面白かったか?
あれって、やっぱり有機生命体を代表させるために、個人としての唯にとど
まらない、凡ての「いのち」のあらわれとしての唯、という意味でハダカにし
たんですよねえ…。スネーカーと交わされた会話の内容からすると、そのよう
に考えるしかない。でもそれって陳腐でつまんない気が…。『恐竜惑星』でも
やったんだからいいかげん飽きればいいのに…なーんて余計なお世話か(お前
のような“はうはう主義者”にそんなこと言われる筋合いはない、って反撃さ
れそうだな ^^;)。
//ナリ(MAP4662)