#139 Article 123 Posted at 1993/09/24 02:37:14 by ISAM (MAP1129) [MEDIA]

Subject: Re:*10 リトルツインズ /122 .... /686(#15) /685(#15)

TOSHI様>
 曲解です。
 人生が変る(これは比喩的表現すぎて、話の正確さを損うきらいがありますが)、
という事実がありえないといっているのではありません。
 そんな事実がいくらあっても、メディア自身の意味とはなんの関係もありませんし
、アニメ観賞とも無関係だといっているのです。

MUK様>
 無謀だと思います。

●「単に」面白いなどというものを追求する人間がふえ
●それを送り手が善しとして、中身の薄い単に「面白い」だけのものを濫造する

 といった論法には無理がありすぎます。
 「中身の薄い」という形容の悪いイメージと「面白い作品」を直接結びつけるのに
は何の根拠も理屈もありません。
 これはたいへん、ゆがんだ意見だと思います。
 また、頽廃などという事実がどこから引きだされているのかもわかりません。

 脚本に関しては、そのような姿勢はありえません。
 なぜなら、前もって脚本のみを読み、それだけによって善し悪しなどを論ずる人間
はこの世に存在しないからです。
 実際は完成された作品のみを見、それによって論じているのです。
 もし脚本に関して論じているように感じられる部分があるとしたら、それは間接的
に、物語の物理的、精神的整合性や展開の面白さを問うているのであろうと考えます
。
 もちろん絵の1コマ、1コマにそういった整合性を求めることもできますが、現在
の商業アニメにそのようなものを求めるのは無理です・・・あるシーンは泣いてみせ
たかったのに、絵が下手で笑ってみえるといったこともおこりうるわけですから。
 メディアというものが、人間というもの自体の表現であるとしたら、てきとうに放
り出したイメージが、まったく無意味に奇妙な象を結び、それでもって「こいつあ、
面白いぜ、こりゃアートだ」と空騒ぎするのは馬鹿馬鹿しいような気がします、なぜ
ならそこには「表現」というもの自体存在しません。

 同様に、CD、ラジオドラマの表現が脚本のみに拠ると考えるのは誤解でしょう。

MA2様>
 面白さというものの認識に対する差。
 これをうめれば解決するというものではなく、その差自体が意識的な主張なんだと
思いまふ。

                              ISAM