#134 Article 503 Posted at 1993/01/22 13:40:55 by TOSHI (MAP2425) [NO.01S]
Subject: 第1話の映像解釈について
ようやく、アニメの話ができるかな? ってんで、ベース変えます。
> 市民ケーンばりに、「満員電車でのみかげとともみの距離は、二人の心の別離
>の象徴である」・・・というのは、お鍋や灰皿をUFOだと思い、布がおばけに
>見えてしまうのに似て、ちょっと考えすぎだと思います。
そうかな? なぜそう思えるのでしょうか? その根拠は?
あれは、明らかに意識してる、そう解釈するしかないと思います。
というのも、
1:全体として、表面上の「現象」(表現ではなく)を追った場合、I
SAMさんのおっしゃるように「構成が破綻している」<ように>見
える。あの場面は(それ以外も)市民ケーンばり(笑。……つ、つい
笑ってしまった。すいまへん(^_^;))に解釈することで、初めて意味
をなす。
のがひとつ。
2:それまでの演出の流れが、そう読むしかないように作られている。
Aパート冒頭の、双子の部屋のPANから始まって、あの演出は、明
らかに双子の「対称性」(シンメトリー)を意識して作られている。
2人の勉強部屋をとらえる構図、学校での双子の行動の違いをカット
を切り替え、平行して描写しているところも、その証拠。しかるにB
パート冒頭、朝の場面でその対称性が崩れる。さらにAパートと同じ
玄関の場面を出しながら、Aでは2人一緒なのがBでは1人だけ。A
パートとBパートの対照が、2人の心の距離を確実にあらわしている。
その演出の流れは、そのまま満員電車の場面に受け継がれている。
という、のがふたつめ。
3:テレパシーの存在によって、双子の間ではモノローグというものが
ありえない。すべてダイアローグになる。ゆえに、言葉として彼女た
ちの内面を表現することはできない。これを意識していることは、わ
ざわざ超能力によって「心を閉ざす」、という描写がなされているこ
とから明らか。従って、その心の距離を「映像」で表すことが要請さ
れる。特別な場合以外、UPやバストショットさえも避けられている
こと、モノローグもほとんどないことからも、演出がそれを意識して
いることは間違いない。
これが、みっつめ。
こんなところでいかがでしょうか?>ISAMさん
TOSHI