#119 Article 5448 Posted at 1994/06/11 01:42:48 by 輪違聡司 (MAP3135) [SMOON]
Subject: Re:*50 セーラームーン原作漫画5,6巻 /5446 .............. /3176(#70) /3171(#70)
さて。 「悲劇」という命題が出ているので、私もそれに対し多少なり。 私は、実際に「作品を作っている人たち」について考えてみます。すなわち、東映 動画のアニメスタッフ、及び、漫画家・武内直子女史についてです。 アニメスタッフの力量評価に関してですが、私は、他の原作付きアニメ製作スタッ フに比したら、相対的に「悲劇性」は薄いような気は、しています。 原作にない要素を入れたりして「原作と違う!」とブーブー言われる作品の作り手 よりは、ね^^; しかし、武内女史に関しては……… 正直、単純比較として、他のアニメの原作者に比したら「悲劇性」は高いような気 はしています。アニメに於ける原作の再現性は、他の作品と比して明らかに低いし、 発言力もそう高いわけではないのではないか? という気も、これは推測ですが多少 ありますね。 正直に自分の気持ちを言いましょう。 武内さんには、自分の今の状況を「悲劇」と感じていて欲しいんです。 悲劇は大げさにせよ、少なくとも、自分の作品には不満を感じていて欲しいんです。 一作家として。 漫画「美少女戦士セーラームーン」は、実に良くできた作品です。 (本サブジェクトのベースアーティクルにおける私の書き様は、明らかに書き過ぎ でした。武内センセ、ごめんなさいm(__)m) しかし、です。 本漫画作品を、完全な物、これ以上は望めない物の如く捉えてしまうことは…… やや言い過ぎかもしれませんが、言います。 武内センセが本物の「作家」であるならば、それは、作家・武内直子女史に対する 屈辱ではないか? そういう風にさえ思えるのです。 良い物は良い、と認めた上で、ですよ。 例えば、です。 第一部において用意された様々な材料・要素。 武内さんが本当の「作家」なら、「これだけの材料があるなら自分なりにもっとい ろんなコトが表現できたはずだ」と思っているのではないか、と思うのです。 あれだけの素材を、月刊連載一年というとんでもなく少ないページ量で消化せねば ならなかった。これを、何の不満も感じず、満足していたのだとしたら、一体……… 仮に表には出さないにしても、心の中では「不満」「不足」は感じていて欲しいの です。作家として。 「原作の表現は十分」と思えるような作品になっているのは、武内直子女史の、一 作家としての威信をかけた自己表現の結果であり、「ままならぬもの」に対する一作 家としての抵抗の結果であると思うのです。そうであって欲しいのです。 漫画から読みとれる武内センセの技量を信じればこそ、です。 ほめごろしはしたくない。 単なる「ヒットメーカー」ではなく、「作家」であって欲しいのですよ。 で、です。 「アニメと漫画の関係」についての話に戻ります。 アニメと漫画の作り手それぞれが、共に「物を作る」という自覚を持つ存在ならば、 という前提で話をします。 正直に言って「アニメと漫画は別作品であらねばならない」とさえ思っています。 「セーラームーン」という作品が、特殊な状況下で成立し、アニメ・漫画双方に全 く異なるスパンを要求され、アニメ・漫画含めた総体としての「セーラームーン」と いう作品におけるイニシアチブが、多方面に分散されている物であるならば。 見る側・読る側としては、その作り手双方の作家性に期待し、作品という場におい て大いに自己主張して欲しいのです。イニシアチブの三竦み状態に埋没するよりは。 「別の作品」であることを明確に意識した方が、少なくとも作り手側にとってはよ り前向きなのではなかろうか。そういう風に思います。 とにかく、「セーラームーン」という作品・ムーヴメントには、いろいろと注目す べき面白い点・特異な点があると思っています。 その当たりを考えてみるのも一興ではなかろうか……というのが元々の論旨だった んですよね(笑) 私の考えは上のような物になりましたけど、どんなもんでしょ。 わちがいそうじ。