#119 Article 5120 Posted at 1994/04/09 03:54:09 by 輪違聡司 (MAP3135) []
Subject: Re: Re: セーラームーン原作漫画5,6巻 /5118 /5116
まぁ、面白い、面白くないという感覚は人それぞれに自由に持つところで……… そこを、人の感覚にまで踏み込むような書き方をしたのは明らかに私の勇み足 でした。すみません。 じゃ、こう言いましょう。あれは、私のことだと…………。 かつて、私は「面白い」と言って読んでたんですよね。せらむん熱病真っ盛りの頃。 ジュピター登場の頃からは連載で読んでたし………。 で、熱病から醒めた頃、ふと「あれ?」と思い返した。 私はね、武内先生は、凄く巧みだと思うんですよ。キャラクターの設定の仕方が。 ツボを押さえているんですよね。 実に上手く「記号化」してるの。 「おこりんぼの霊感少女」(これはアニメ版だが)「心優しき天才少女」「気は 優しくて力持ち」という形で表現できてしまう、アレね。 まこちゃんなんか、そういう「記号」が多いよね。料理とか先輩とか。 まぁ、そういったことで大体は分かっちゃうのね、どういう人間か。 あと、キャラクターの配置も上手いのね。 うさぎってのは、リーダーの典型的な形の一つなのね。自分自身はさほど能力は 高くないんだけど、とにかく人を引きつける魅力がある。 以前にも書いたけど、「三国志」の劉備玄徳とか、あと、新選組の近藤勇みたいな。 んで、周囲に参謀やブレーンがいて……と、それぞれの立場がある程度明確に想像 できる。 それが作品中で活かされているかはまた別問題なのだが……… ま、これは蛇足ね^^; でも、実際の所、主役のうさぎとセーラーVがある美奈子は別格として、彼女らの 表現に割かれた部分というのは、実にわずかしかない。 「情報量としては十分じゃないか」そう、十分だと思います。 ただ、それはやはり、文字どおりの「情報」でしかない、という気がする。 「記号」の集合体なんですよ。 今のこの時勢、このセーラームーンブームの折、アニメと原作両方見ている人は皆、 多かれ少なかれ、TVというフィルターを通して原作のキャラクターを見ているはず なんです。 いや、断言できます。これは皆そうだ。違うとは言わせない。 ・・・・ 「アニメのキャラクターをそのまま原作に投影する」というだけではない。 相対比較という形ででもやっているはずです。 「アニメのレイちゃんは惚れっぽくておこりんぼだけど、原作では男嫌いのお嬢様 だね~」みたいな。 四天王を考えてみる。 四天王に関する設定は、明らかに、いや、少なくとも私は、原作の方が燃えるもの だと思う。実はエンディミオンの家臣で………というやつ。TVでもこの設定を取り 入れていればかなり燃えるものになったと思うのだけど………。 が、これはあくまでも設定。 じゃ、実際に「四天王」というキャラクターを思い浮かべるとき、まずやはりTV でのものが出てくると思うのね。存在感はどうしてもTVでの物の方が上だと思う。 確かにね、最低限必要な情報は、提示されているんです。 でもそれは、一個の独立した漫画作品としては、完成された形にあると言えるのか。 私は、別にそれを、悪いとは言っていないですよ。 ただね、武内さん自身はどう思っているんだろう、っていうことが前々から気に なってた事なものですから。 まぁホントに、余計なお世話かもしれない、訳だけど(笑) アニメでの描かれ方の良し悪しじゃないんです。アニメと原作は完全な相互補完 関係にある。むしろ、原作の方がアニメに対する依存度が高いと思える。 アニメで「悪い」と思った部分は、そのまま原作との比較対象になるんです。 言ってみれば、原作とそのアニメ化と言うよりは、メディアミックス的関係に あるんですよね。極めて同時進行に近い。両方あっての、という。 新たな一形態を提示して見せた、と言えるのかもしれない。 原作版第一部と第二部の比較。「どちらが面白いか」は人によって違うところで しょう。個人的には、素材的には第一部の方が面白いと思う。 ただ、私は、第二部の方がまとまりが良いと思ったんです。 時間的余裕、経験、慣れ、そこからくるある種の開き直りにも近い(別段悪い意味 ではない)取捨選択……といった物を感じた、そういう事です。 まぁ、それでも、やはりツライと思うのだけど。 でも、この制限下で十分頑張っておられると思うっすよ、武内さん。 端的に言えばね、今から5年後10年後、TVアニメのセーラームーンを全然知ら ない子供が、ぱっとこの漫画を読んだらどう思うだろうか、そういうことなんです。 あと。「日常性」について。 はっきり言いますと、私は、日常性「だけ」を求めているわけじゃありません。 要はバランスです。 過去や未来、宿命といったでっかい話。その中での戦い。少女漫画的なロマンス。 そして日常。 量的制限のある原作は仕方ないとして、TVの方。特に第三部以降。「日常」の パーセンテージががくんと減り、バランスが崩れた。私はそう見たんです。 描かれていないだけで、日常は存在する。それは容易に想像できる。 日常の存在を証明したのが、最終決戦前でのなるちゃんの登場です。 が、その登場は、あまりに唐突すぎた。ある種の違和感さえ伴った人も居るのでは ないかと思う。その唐突さは何故生じたか。 「日常」描写を積み重ねてきていなかったからです。 にもかかわらず、何故あそこでなるちゃんが登場しなければならなかったか。 それは、「日常」の存在に重要性があるから。それを逆説的に示しているとは思え ませんか? 正義のため、使命のため、戦う………。でも、目的はそれだけなのか? もっと己に密着した、肌で実感できる目的はないのか? それは、好きな人を、友達を、家族を、守ること………ではないのか? 日常を超越した、己自身の中にのみ存する正義感や使命感………。それしかないの だったら、下手すると、巷に氾濫するバイオレンスヒーローと変わりなくなってしまい そうな、そんな気もするのですよ。 何故、彼女らは「女子中学生」なのか。 「日常」が不要なのだとしたら、彼女らのアイデンティティはどこに求めれば いいのか? 逆にお尋ねしたいのですけど、MOSさんは、「セーラームーン」に何を求めて おられるのでしょう? そこが見えないので……なんか、自分ばかり突っ走っているようで、どうもね^^; しかし、なんだかんだ言いつつ、俺もせらむんから離れられないのかねぇ…(笑) わちがいそうじ。